田阿桐さんは中国、いや世界に認められた洋服の仕立て職人です。毛沢東主席や鄧小平氏ら中国の指導者をはじめ、アメリカのブッシュ元大統領や、カンボジアのシアヌーク国王のために洋服を仕立てたことのある田阿桐さん。大勢の国の指導者のお気に入りで、これまで50年にわたって彼らの洋服を仕立ててきました。デザイン、仕立て、いずれも一流の腕を持っています。北京の中心、天安門の表側には毛沢東主席の肖像が掲げられていますが、主席が着ている服は田さんが仕立てたものです。
田さんは中肉中背、髪の毛が灰色で、黒ぶちのメガネをかけています。一見、インテリのような感じを受けますが、手はがっちりと力強く、手仕事をしていることがよく分かります。この手によって、各国の指導者に向けた一千枚近くの洋服が仕立てられていったのです。
田さんは子供のころから賢く、器用で、13歳のときに、上海に送られ、仕立ての勉強を始めました。そして、5年間の修行を経て、独立しました。当時19歳だった田さんは、上海の有名な繁華街、南京路に洋服店を開店したのです。腕の良さが評判を呼び、売り上げは尻上がりに伸びていきました。
仕立てが上手なうえ、人柄も良かった田さんは、新中国建国7年後の1956年、毛沢東主席ら国の指導者のために洋服を作るという任を受け、北京に来るよう命じられました。こうして50年間、大勢の要人に洋服を仕立ててきたのです。
毛沢東主席のほかに、田さんはまた周恩来総理や鄧小平氏、江沢民氏、胡錦涛氏などの要人のために公の場での洋服を仕立ててきました。着心地がよく、見た目もきれいだと、多くの人たちが評価しています。
胡錦涛主席に服を仕立てたときの思い出を田さんはこう語ります。
「胡錦涛主席はある日、私を呼んでおっしゃったのですよ。『この古い服を仕立て直してほしい。もう10年も着ているから』って。私は喜んでお引き受けしました。出来上がったものを見て、主席はすごく満足してくださいましたよ。」
田さんは自ら仕立てるだけでなく、百人余りの弟子を抱えています。周俊巧さんはその一人です。
周さんはもう60歳過ぎ。82歳の師匠、田さんに40年間、仕えてきました。
「師匠は仕事にとても熱心な人です。作るものを、よりよくしようということをいつも心がけています。師匠は技を教えてくれるとともに、人生のこと、いろいろな悩み事についても相談に乗ってくださいました。師匠が私にしてくださった指導に心から感謝しています」
田さんは伝統の中国服に加えて、スーツも手がけます。田さんの仕立てたスーツは、外国の首脳や中国駐在の外交官らの御用達でもあります。アメリカのブッシュ前大統領は1970年代に、中国駐在大使として北京に数年間滞在したことあります。彼は、ある日、自ら自転車に乗って、田さんが勤めている紅都服装工場まで赴き、田さんに仕立てを頼んだことがあるそうです。そして、その後、大統領になったブッシュ氏はまた中国を訪問したとき、わざわざ、田さんが当時仕立てた洋服を着てきたそうです。
また、カンボジアのシアヌーク元国王は北京に、しばらく滞在していたことがあり、そのとき、洋服を仕立てたのも田さんでした。田さんなら、「国際水準」に仕上げられると、中国以外の要人からも引っ張りだこです。
中国の指導者から注文を受けることが多いことから、田さんは長年、首脳が仕事をしている場所、中南海に住んでいます。ですから、田さんの仕事は一般の中国人から見れば、やや神秘的なイメージもあります。しかし、田さんはそうではないといいます。要人だけでなく、大勢の一般の人々に、自分が丹精こめて仕立てた洋服を着てほしい、それが田さんの願いです。田さんは、北京の洋服店で店員として服を販売したこともありますし、自らの技を、より多くの人に伝えようと、自費で山東省に赴き、現地工場のスタッフのために講座を開いたこともあります。
去年、80歳になった田さんはようやく"定年"退職しました。元気でいるうちに、自分の技をより多くの若い人に教えたいと考えている田さんは今年春、また弟子を取りました。中国でも有名な洋服メーカーの代表取締役、劉衛軍さんです。洋服に対する考え方が似ていて、田さんはこの弟子のことをとても気に入っています。
田さんの丁寧な仕事ぶりは、弟子の劉さんだけでなく、劉さんの会社の人々に影響を与えています。デザイン責任者、趙玉峰さんは次のように言います。
「田先生の巧みな技、そして、丁寧な仕事ぶり、これは私たちが最も見習うべきものです。そして、田先生の指導は、品があり、かつ非常に先進的で、とても勉強になります」
これからも、まだまだ仕事を続けていくという田さん、もし機会があれば、また弟子をとるつもりです、そう笑顔でおっしゃいます。いつまでも受け継がねばならない名人の技、田さんは体が動く限り、その最高の職人技を後世に伝えることに全てをかけます。
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