中国中部の安徽省阜陽県にエイズで両親をなくした楠楠さんがいます。あまりにも早く一人ぼっちになってしまった楠楠はほかの子供たちよりも早く生活の苦しさを味わったのです。しかし、そんな中で、一人の"お母さん"が彼女の前に現れました。これをきっかけに彼女の生活は、がらりと変わったのです。
楠楠さん、16歳。4年前にエイズで両親を亡くし、一人ぼっちになりました。不幸なことに、楠楠さんは、生まれたとき、母親からエイズをうつされました。
不幸のどん底にあった楠楠に一筋の光明が差したのは2003年秋のある日でした。この日夕方、病気で道端にしゃがんで苦しんでいる楠楠を地元で商売を営む張頴さんという女性が見つけたのです。
張さんは37歳。10数年前から衣料品店やレストランを経営しています。商売は比較的うまくいっており、地元でも名が知られる事業家でした。
「私は当時、子どもが生まれて、母親になったばかりだったんです。だから余計に、この子を見て、たまらなかったのでしょうね。まだ小さいし、両親をなくしたというし、しかも聞けば自分もエイズにかかっているというじゃありませんか。何かしてあげないといられなくなったのです」
その翌日、張さんは楠楠さんの家を訪ね、セーターや綿入れ、そしてお菓子をプレゼントし、さらに300元(4000円あまり)のお金を置いていきました。
しかし、家に帰った張さんはやはり不安でたまらなかったそうです。楠楠の顔が何度も心の中に浮かんできました。そこで、張さんは楠楠を北京につれてきて、医者に見てもらうことにしました。
「それは、旧正月が4、5日後に迫ったころでした。旧正月までには帰ってこようと思っていましたから、余り時間もなく、北京についたらすぐ病院に直行しました。血液検査やX線検査など、忙しかったですよ。」
治療によって、病気が少しずつよくなるにつれて、楠楠は再び元気を取り戻し、落ち込みやすい性格も変わってきました。こうした変化に、張さんは安心しています。
ただ、阜陽市では楠楠ちゃんのような子供は一人だけではありません。経済的に立ち遅れている農家の人々に蔓延しているの「売血」です。自分の血を売って、お金を稼ぐ人が少なくないのです。そして血液を不法に採取する商売をする人々は、自らの利益のため、使い捨てのはずの機材を何度も使い、一部の農民はこれが原因で、エイズに感染したのです。地元政府はこうした不法な血液採取を厳しく取り締まりましたが、やはり楠楠のような『エイズ孤児』を防ぐことは難しいといわざるを得ません。
楠楠との出会いをきっかけに、張さんは、エイズで両親を亡くした子供たちのために、協会を設立しました。
黄金紅さん、金雷さん姉弟は協会発足当初に援助を受けました。両親をなくしたばかりの当時は、悲しみにあふれていたといいます。
姉の黄金紅さんは「親を亡くしたばかりのとき、だれも相手にしてくれなかったの。私たち二人はとても寂しかったです」と当時を振り返りました。
そして、弟の黄金雷さんは「隣の人々は、誰もが玄関を閉め切ってしまって、その前を通ることも許してくれなかったんです。泣きたくなっても、家で泣いたらだめでした。おばあちゃんが悲しむから」
この兄弟のことを聞いて張さんは家を5度訪ね、多くの日用品や文房具を送りました。
しかし、子供たちと接する中で、わかったことがありました。彼らに対して、生活面の援助だけでは不十分だということです。こうした子供の多くは、口数が少なく、学校での成績も余りよくありません。それは心に覆いかぶさる様々な圧力ではないか・・それを解消してあげないと、解決しないと張さんは感じたそうです。
そこで、一昨年、張さんはある企画をたてました。30人の孤児を遠足に連れて行ったのです。子供たちに心の扉を開いてもらうためだといいます。
「そのときの遠足はとても面白かったです。お母さんはとても親切してくれて、私たちは,いろんな嫌なことを忘れて、楽しく遊ぶことができました。」
黄さんがいう"お母さん"とはつまり、張さんのことです。援助を受けた300人余りの子供たちはみんな張さんのことをお母さんと呼んでいます。子供たちからすれば、張さんは優しく、いつも自分の身になって考えてくれる母親のような存在になっているからでしょう。子供たちは感謝の気持ちを表そうと、絵や切り紙などを張さんにプレゼントします。
張さんの"実の"息子さんは今年4歳になります。いつも外で忙しくしているため、あまり息子と一緒にいる時間が少なく、張さんはすまない気持ちを持っています。ただ、今は可愛そうな境遇を持った"子ども達"とともにいてあげたい・・張さんはそう考えているのです。
「うちの息子は、私が時間のある時に一緒にいてあげることができます。でも、これらの子供たちは、一人ぼっちで、私しかお母さんになってあげられません。ですから、彼らに何か困ったことがあれば、必ずお手伝いに行かなければいられないのです。」
張さんのことは地元阜陽市のマスコミによって報道され、多くの人々が彼女の献身ぶりに感動しました。北京市民の李センさんはこのように言います。
「張さんの勇気と、根気強さに感心しました。私達に優れた模範を示してくれたと思います。そして、私たち一人ひとりにも、やるべきことがたくさんあると教えてくれました。」
張さんは、これらの子供たちを支援するために、ここ数年で、およそ30万元(400万円)を支出したそうです。でも張さんは言います。子供たちの生活が改善され、そして彼らに笑顔が戻ってきさえすれば、お金のことはどうでもいいのです、と。そして、いつか、こんな不幸な子ども達が生まれてこない世の中がやってくるよう、張さんは祈っています。
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