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「青天竜図」の包拯

2008-12-23 21:37:40     cri    

 包拯(西暦999-1062年)は字を希任と言い、廬州合肥(今の安徽省合肥市)にある官僚の家庭で生まれました。誰もがよく知っている、清廉で公正な官吏です。性格は剛直で賢明、法をまげることなく、公正で容赦ない裁きをしたことでよく知られています。その頃、都では「関節不到、有閻羅包老」という言葉が流行しました。「法を犯した人にとって、包拯は閻魔大王のような存在だ」という意味です。後世の人々は包拯を公正な裁判官の象徴である「包青天」にたとえ、「包公」と呼んでいます。また包公についは、「日断陽、夜断陰(昼には現世で、夜には冥界で裁きを行う)」という噂もあります。

 伝統劇中に出てくる包拯がよく自ら「包竜図」と名乗るのは、彼が北宋時代の「竜図閣」という機構で「直学士」という官職を担当していたからです。「竜図閣」は皇帝の書画や重要な文献などを保存する場所であり、包拯は「直学士」を担当しながら、「開封府」(北宋時代の都)の府知事を務めました。京劇作品では包拯は幼い頃両親を亡くし、兄嫁に育てられた設定ですが、本当はとても幸せな子供時代だったそうです。大人になってもとても親孝行で、親のそばを離れたがらず、県知事の職をやめて40歳までずっと故郷にいました。両親が亡くなった後は、同郷人の勧めでやっと故郷を離れ、安徽省天長県で県知事を務めています。

   

 包拯は公正無私な性格で皇室に気に入られて、都の開封に転任されました。あまり実権はなかったものの、朝廷の仕事に直接参与できるので、包拯の才能は最大限に発揮されました。内政・外交面でいろいろな改善意見を出したほか、使節として契丹(遼国、907年―1125年)にも出かけています。

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