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CRIウェブトーク【気ままに談談】Vol.32 【リスナー物語―東京都・奥田正彦さん】(上)

2011-12-08 16:07:06     cri    


























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つばめVS. 奥田正彦さん

 篆刻愛好家の奥田正彦さん。故郷大阪府池田市の呉服(くれは)神社(呉の国から渡来し、日本に機織技術を伝えたとされる織姫・呉服媛が祭られている)で日本と中国との文化的なつながりに感銘を受け、中学・高校時代から「いつか中国に行ってみたい」と思い続けてきました。

 しかし、その後、雑誌社のデザイナーになった奥田さんは、仕事と家庭に追われて、50歳になっても中国行きは「遠い夢」のままでした。

 そんな中、再び中国との強い縁を感じたのは、20年余り前の夜の出来事でした。

 「ラジオのダイヤルをひねって見ると、"こちらは北京放送局"が聞こえてきました。遠方の国の声。しかも日本語で。  不思議な感じでした」

奥田さんが初めて聞いた番組は、曙光講師の「やさしい中国語講座」でした。続いて流れてきたのも中国語講座の番組で、今度は「日本人よりも上手な日本語」を話す陳真講師のレクチャでした。

 そうして、ラジオで中国語の勉強を始めた奥田さんは、北京放送が東京で主催した語学の合宿に参加。そこで初めて北京放送のスタッフに出会いました。当時、北京放送東京支局長の李順然さんでした。

   

19901月、離任前の李順然東京支局長(当時)から送られてきた篆刻の専門書と書簡

19906月、李順然さんと北京で再会

 翌年、本帰国する李順然さんの送別会で、奥田さんは待ちきれない思いで、覚えたての中国語を使ってみました。

 「それでは次回北京で会いましょう」。

 と、すぐに聞き返されました。

 「では、いつ頃来てくれますか」。

 予想外の展開に慌てふためきましたが、「これはもう行くしかない」と心を決めました。

 「1990年1月29日のことでした」、と今でも、その日のことを鮮明に覚えていると言います。

 こうして、その年の6月、奥田さんは「第12回北京放送聞く会訪中団」の一員になり、中国大陸の土を初めて踏み入れました。

 ところで、北京放送スタッフが同伴の南京へ向かう列車の中で、「列車長」の腕章をつけた颯爽とした女性の姿に魅了され、奥田さんはシャッターを切りました。

1990年、観光列車「紫金号」で南京へ

「紫金号」列車長劉秀蘭さん

 紫金号列車長・劉秀蘭さんからの返信

 

 現在まで続いている奥田さんと、列車長さんの家族ぐるみのお付き合いの始まります。果たしてそれはどんな「ロマンス」だったのでしょうか。

 次回も奥田さんのお話にご期待ください。(つばめ)

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