つばめVS. 奥田正彦さん
篆刻愛好家の奥田正彦さん。故郷大阪府池田市の呉服(くれは)神社(呉の国から渡来し、日本に機織技術を伝えたとされる織姫・呉服媛が祭られている)で日本と中国との文化的なつながりに感銘を受け、中学・高校時代から「いつか中国に行ってみたい」と思い続けてきました。
しかし、その後、雑誌社のデザイナーになった奥田さんは、仕事と家庭に追われて、50歳になっても中国行きは「遠い夢」のままでした。
そんな中、再び中国との強い縁を感じたのは、20年余り前の夜の出来事でした。
「ラジオのダイヤルをひねって見ると、"こちらは北京放送局"が聞こえてきました。遠方の国の声。しかも日本語で。 不思議な感じでした」
奥田さんが初めて聞いた番組は、曙光講師の「やさしい中国語講座」でした。続いて流れてきたのも中国語講座の番組で、今度は「日本人よりも上手な日本語」を話す陳真講師のレクチャでした。
そうして、ラジオで中国語の勉強を始めた奥田さんは、北京放送が東京で主催した語学の合宿に参加。そこで初めて北京放送のスタッフに出会いました。当時、北京放送東京支局長の李順然さんでした。
1990年1月、離任前の李順然東京支局長(当時)から送られてきた篆刻の専門書と書簡 |
1990年6月、李順然さんと北京で再会 |
翌年、本帰国する李順然さんの送別会で、奥田さんは待ちきれない思いで、覚えたての中国語を使ってみました。
「それでは次回北京で会いましょう」。
と、すぐに聞き返されました。
「では、いつ頃来てくれますか」。
予想外の展開に慌てふためきましたが、「これはもう行くしかない」と心を決めました。
「1990年1月29日のことでした」、と今でも、その日のことを鮮明に覚えていると言います。
こうして、その年の6月、奥田さんは「第12回北京放送聞く会訪中団」の一員になり、中国大陸の土を初めて踏み入れました。
ところで、北京放送スタッフが同伴の南京へ向かう列車の中で、「列車長」の腕章をつけた颯爽とした女性の姿に魅了され、奥田さんはシャッターを切りました。
1990年、観光列車「紫金号」で南京へ |
「紫金号」列車長劉秀蘭さん |
紫金号列車長・劉秀蘭さんからの返信 |
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現在まで続いている奥田さんと、列車長さんの家族ぐるみのお付き合いの始まります。果たしてそれはどんな「ロマンス」だったのでしょうか。
次回も奥田さんのお話にご期待ください。(つばめ)
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