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第10回中日インターネット対話文字版~Part1

2009-01-22 22:59:26     cri    

■Part1  2008年を振り返って

王 こんにちは。第10回中日インターネット対話、進行役の王小燕です。この対話は2006年秋にスタートして以来、中日両国からゲストの方々にお越しいただき、文化、スポーツ、若者交流など幅広いテーマで話し合ってきました。
 2009年最初のネット対話でもある今回は、北京と東京をつないで、両国のゲストのみなさんにディスカッションしていただきます。

テーマは:中国と日本 ご近所づきあいのコツ

 ゲストのみなさんが肩の力を抜いて、本音で話し合っていただけることを期待しております。
 また、番組のホームページの一番下に掲示板がありますので、リスナーのみなさんも是非、どんどん書き込んでください。私たちと一緒にディスカッションを進めてまいりましょう。
 さて、まずはゲストの皆さんをご紹介しましょう。
 まずは東京スタジオのお二人です。場所はCRI東京支局(写真↓)です。

西原 西原です。去年、北京を訪れた時、取材していただき、お世話になりました。今日もどうぞよろしくお願いいたします。

朱 朱です。東京在住23年になります。私は日本と中国で、それぞれ人生の半分送ってきます。最近になって、どれが中国か、どれが日本なのか区別がつかなくなりました。今日も渋谷あたりで、若い女性二人を見ましたが、なんと二人は中国語で話をしていました。最近は両国の若者は外見だけでなく、考え方なども区別がつかなくなりました。

王 さて、今日の北京は最高気温が4度、夜は氷点下9度まで下がるようです。東京はいかがですか。

西原 東京の郊外は今朝は零下2度、昼間は7~8度です。

王 東京も北京も一年の間でもっとも寒い季節を迎えたのですね。さて、続いては、北京スタジオ(写真↓)のゲストです。  

加藤 初めまして、加藤嘉一です。今日は先輩方と一緒に話ができまして、光栄に思っています。皆さんに学びながら自分の考えていることを話させていただきたいと思います。よろしくお願いいたします。

李 映画監督の李纓です。最近は新作の撮影で中国に戻っていますが、この3月で日本在住満20年になります。昨日まで深センから北京に戻ってきました。飛行機で3時間の道のりでした。北京から東京に行くのと時間的に変わりません。日本と中国の近さを実感しました。

王 ところで、日本語による中日インターネット対話が始まる前に、さきほど、北京スタジオでは中国語によるネット対話を行いました。その中で、表現の自由についての議論、つまり、中日やアジア共通の問題をめぐり、まずは、異なる視点から考えをぶつけ合うことが必要で、そこから解決の道を模索しようではないかという内容にたいへん深い感銘を受けました。

 さて、今回は新しい年になってからの最初のネット対話なので、まずは皆さんにとって、2008年はどのような一年だったのかを振り返っていただきます。

■2008年を振り返って

西原 東京にいまして、中国のことについて、一番関心をもったのは、四川の大地震、そして北京五輪で

した。しかし、私にとって日中関係という点でたいへん印象に残ったのは、5月に胡錦涛国家主席が初めて日本を訪問し、福田前首相との間で日中共同声明を発表され、また、私の勤務していた早稲田大学で大隈講堂でたいへん立派な講演をしてくださり、学生との交流や、中国でも有名な卓球の福島愛さんと真剣勝負をなさったことでした。もうたいへん見事な卓球の技術に日本国民がたいへんびっくりしたと同時に、たいへん親しい関係を持った出来事が私にとって一番印象に残ったことでした。

王  中日関係にとって、記念すべき一年でした。

西原 特に、福田前総理は早稲田大学の出身でもあり、前から私の考えを彼に説明してきたこともあります。去年は日中平和友好条約締結30周年。この条約は、福田前総理のお父様が締結したものでした。30年目には息子さんによって、もっと新しい世紀に合う内容を付け加えなければならないと思って、私としては、新たな日中友好条約を作ることを考えていましたが、その考え方は、胡錦涛主席との共同宣言に、的確にまた見事に盛り込まれていました。私はそのことについてたいへん嬉しく思っています。

王 朱建栄さんはいかがでしたか。

朱 私は、2008年は中日両国の人々がやっと本音を出し合って、顔が見える交流が始まった年だったと実

感しています。四川大地震の時、日本の救援隊は、救出できなかったが、なくなった親子の前で黙祷を捧げていた写真が何億もの中国人に感動を与えました。一方、大地震の後、私たちは六本木でチャリティーコンサートを企画しました。家庭の主婦も含めて、多くの日本の若者が参加しました。両国の間で、民間の気持ちが共通しているということ、相手に困難があれば、私も手伝ってあげよう、そのような気持ちが伝わったと思います。もちろん、いわゆる毒ギョウザ事件がマスコミで報道され、日本の中では、中国や中国人に対するイメージが低下する一面もありました。しかし、私はいわゆるギョウザの事件が日本で報道されて、一時的にイメージが悪化したことについて特に心配にしていません。

 その理由は一つに、やはりこれは日本人が中国に対して関心があることの現れであること、二つ目に、これからどうしようと、それが双方が考える一つのきっかけになると思ったからです。

 その中で、2008年、色んなところで若者の交流が見られました。

 去年、私が勤めている日本華人教授会議と日本経済新聞などの共催で、全中国の日本語スピーチコンテストが開かれました。中国全土で予選が行われた後、7月に東京で決勝戦が開かれました。

 中国の若者が日本で日本語で行ったスピーチを聞き、「あ~、中国人はこれほど日本に関心があるのか」と感動したという日本人の方たちにも多く会いました。そういう意味で、若者の交流が本音で語り合うということは、まだ時々ぶつかり合いや戸惑いを感じるという一面もありますが、その段階を経てこそほんとの友人になる、今はまさにそういう段階にあるといえます。

王 さて、北京スタジオに戻ります。李纓監督にとって、2008年はたいへん忘れられない年だったようですね。

李 私にとって、やっぱり『靖国』の上映をめぐって感じた日本社会の反応が印象に残りました。また、 中国と日本の間を行ったり来たりしている人間として、この映画の上映をめぐり温度差があったと感じました。そういう意味で、私は日中友好の視点から見ると、2008年はすれ違いの年だったと思っています。

 当初は、『靖国』の日本と中国での同時上映を考えていました。この映画を通して、日本でも中国でも人々が高い関心を持っている問題について討論をし、コミュニケーションを深めることができると思いました。

 しかし、日本で公開された時、私は現場に立ち会うことができず、交流会やディスカッションも開くことができませんでした。まるで、わが子が生まれたのに、傍に立会いができない父親というような寂しい気持ちでした。

 一方、中国は、今年は友好の年なので、敏感な問題を棚にあげようと考えたようで、中国国内で上映ができませんでした。

朱 李さんは現場で色々苦労していました。完璧さを求める監督なので、不満があることを良く理解しています。私は横から応援している人間として、大成功だったと言葉を送りたいです。このようなタブーにされていた歴史問題で作品を作り、そして、大半の日本人や日本のマスコミから応援され、観客動員数も記録を作り出しました。これは両国の歴史問題を考える上で大きな一歩を踏み出したと思います。

李 日本での上映は結果的に大成功し、感激しました。たくさんの友人に応援してもらい、観客動員数も歴史的な記録を達成し、そこまでの反応を得たことを嬉しく思っています。ただ、それをコミュニケーションの視点から見ると、本来はこの映画は日中関係だけでなく、日本とアジアの関係を考える上にも役立つはずでした。また、今日の番組名にもあったように、中日の対話という意味で、本来は両国の人々が映画という共通の土台を使って、議論できたはずでした。

 映画も一つのメディアなので、どうやってこの土台をもっといかして、両国の交流に生かす方法、もっと積極的に考えたいと思っています。それが実現できなかったところが残念だったと思います。

 去年発表された日本人の中国イメージに関する世論調査の中でも、温度差が非常に大きかったことが分かりました。両国の人々の相手への理解にすれ違いがあることが課題として残されたと言えます。

王 2009年、中日関係を前進させるには、「すれ違い」を是正していく必要があるという李纓監督からの問題提起でした。後ほどまた議論を深めていただくことにします。加藤さん、2008年はどのような一年でしたか。

加藤 2008年は、私にとって特殊な年で、色んなことを考えて、色んなことを発信した年でした。まずは、 私は年男で、北京大学を卒業したこと。そして、私が創立した北京大学と東京大学の学生交流の場・「京論壇」はお陰で成立4年目を迎えたこと。当時は、日中両国の政治リーダーが相互訪問できなかった頃に始めたイベントでしたが、今後も日中の若者交流を引っ張っていければということで、自分自身がウォッチし続けていきたいです。

 また、中国にとっては、五輪を開催する年、日中関係にとっては、平和友好条約締結30周年の年でした。北京で見ていて、まず日中関係について、北京五輪、ギョウザ事件など色々もありました。しかし、戦略的互恵関係を日中両国が結んでいて、そして、胡錦涛国家主席、福田前首相がお互いに二回互いの国を訪問し、トップリーダーの相互訪問をある意味定期化するといった内容が共同声明にも明記されたことも大きかったです。

 民間レベルでは、青少年交流年、そういったメカニズムが政府から提供されたわけですが、やはり自分が見ていて、参加していて思ったのは、李纓監督は映画の作品として貢献していますが、それだけでなく、とくに若者が政府におんぶに抱っこではなく、より積極的に色んなイベントを企画していくべきだと思います。

 一方、戦略的互恵関係を結んだ日中両国は、これからがまさに対等の関係になると思います。これまで、両国関係は何かというと上下や強弱の視点から見られがちでしたが、これからより対等な形で発展していくと思います。まさに、21世紀の日中関係が2008年がスタートで、極めて大事な一年だったと思います。(つづく)

関連ページ【第10回中日インターネット対話】
 https://japanese.cri.cn/other/08jpn-chi/wlduqf10.htm

 

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