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ナリンゴワさんとその養女たち

2012-03-09 13:52:12     cri    
 今年44歳になる蒙古族女性のナリンゴワさんは新疆ウイグル自治区の役人で、エンジニアでもあります。彼女が生んだ子供はいませんが、これまでの16年間、出身地や年齢も異なる5人の子供を養子として、実母のように慈愛の心で育ててきました。

 8年前の冬のある日、ナリンゴワさんはウルムチ駅で河南省から来た3人目の養子・王葉子さんを出迎えました。葉子さんは河南省の農村に生まれ、12歳のとき、学校に通うのをやめて、町へ肉を卸す店で働いていました。しかし葉子さんは懸命に働く中でやけどをしてしまいました。ナリンゴワさんは、鄭州に暮らす自分の母からこのことを聞き、葉子さんの両親の同意を得ると自分の家に連れて行き、学校へ通わせることにしました。そして、葉子さんの学習の遅れを取り戻すため、日夜を問わずつきっきりで勉強を見てやりました。

 ナリンゴワさんは「当時、葉子は14歳でした。その年齢だと中学に通うはずですが、とても授業についていけそうにないので、小学4年に入り、標準語から習い始めました」と話しました。

 ナリンゴワさんのサポートと葉子さん自らの努力で、葉子さんは標準語が話せるようになったばかりではなく、中等専門学校の試験にも合格しました。現在、葉子さんは国家部門の技術者になりました。夜遅くまでコンピューターの前に座って仕事をこなし、また家事をする葉子さんの姿を見ると、ナリンゴワさんは嬉しさと、母親としての誇りを感じました。

 楊艶華さんは甘粛省の山間地帯に暮らしていましたが、中学に入ったとき、家が貧しく途中で退学した女の子でした。ナリンゴワさんは楊艶華さんと始めて顔を合わせたとき、標準語ではなく訛りのきつい言葉で話す艶華さんに頭を抱えてしまいました。しかし、様々な困難を乗り越えて、艶華さんにぴったりの仕事を見つけることができました。

 ナリンゴワさんは、当時仕事が非常に忙しかったこともあって、仕事場にいるときも、艶華さんが1人で家にいてさびしくないか、新しい街での生活に慣れることができるかどうか、艶華さんのことを気にかけて、暇さえあれば、電話をかけていたそうです。

 艶華さんがウルムチで暮らしていけるようにするため、また艶華さんのコミュニケーション力を高めるために、ナリンゴワさんは艶華さんと本を売る屋台を営むことにしました。最初、ナリンゴワさんもこの仕事がとても恥ずかしく、もし知り合いが買いに来たら、と不安に思っていました。しかしひと冬、毎日欠かさず、仕事が終わったあと艶華さんと一緒に本を売り、夜10時にならないと家に帰らないという生活を続けました。苦労を重ね、たゆまぬ努力の末、本を売る屋台が、卸売りと小売りをする書店になり、毎月、国に2000元以上の税金を納めるほどにまで大きくなりました。その後、艶華さんは結婚し、一人息子も生まれ、幸せな家庭を営んでいます。艶華さんはこんな暮らしができて、感謝の気持ちでいっぱいだと話していました。

 周翠花さんは新疆アルタイの山間地帯の営林場からウルムチに来た、貧しい家の女の子でした。翠花さんとの出会いは今から10年前、ある晴れた日の正午、ナリンゴワさんが食堂で食事をしようとした時でした。その時、食堂は混んでいて、とても若くてやせた女性の店員がお茶を持ってくると小さい声で、「今日お客さんがとても多いので、午後の仕事に間に合うように、ほかの食堂へ行ってみてはどうでしょう?」と言いました。この正直な言葉に、人の気持ちがよくわかっている女の子だと、ナリンゴワさんは思いました。このやせた女の子こそ翠花さんで、この出来事がきっかけとなって、のちに2人は親子となったのです。

 この周翠花さんはナリンゴワさんのサポートで、学校で学ぶことを再開し、懸命に勉強して中国科学技術大学に入りました。そして、ナリンゴワさんの努力と友人にも助けてもらい、翠花さんが興味のある仕事を見つけました。翠花さんはこのことに対してとても感謝しているそうです。

 「涙がこぼれました。母の愛が胸に蘇りました」とそのときのことを語りました。

 現在、翠花さんはすでに幸せな家庭を築いていて、4歳の女の子の母となっています。仕事のほか、余暇を利用して「不動産仲介士」の資格も取得しました。翠花さんは、「ナリンゴワお母さんはわたしの生活を支えてくれただけでなく、生きる力も与えてくれた」と言います。翠花さんは新しい知識を絶えず学び、子供に対しては立派な手本となるようにふるまい、ナリンゴワお母さんのように、自尊心を持つ自立した女性として生きていきたいと話してくれました。

 ナリンゴワさんは、5人の女の子が自立できるように支えてきました。いつの間にかナリンゴワさんの顔に年輪が刻まれるようになりましたが、これまでのことを微笑みながら振り返りました。

 「子供を生んだことはありませんが、この5人の養女たちに心から感謝したいと思います。29歳の頃でしたか、最初の子供が家に来たとき、私は若く、何も経験がありませんでした。そのときから今日まで、すでに16年間が経ちました。この間、さまざまなことにぶつかり、そして挫折したことも沢山ありました。その中で、自分が少しずつ成長していくことができました」ナリンゴワさんはそう語りました。

 「ナリンゴワ」という言葉は蒙古語で、美しい太陽という意味です。2009年、ナリンゴワさんは「新疆の素晴らしい母親10人」の1人として選ばれました。組織委員会が彼女に贈った賞状には「無私の愛と智恵、そして母の優しさで、多くの子供を勇気づけました。母性愛とは沈むことのない太陽そのものです」と書かれていました。(翻訳:トウエンカ)

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