今晩は、ご機嫌いかがでしょうか?林涛です。
今日は明の開祖、朱元璋のお話です。題して「鵞鳥の羽」
「鵞鳥の羽」(千里送鹅毛)
朱元璋は都の応天府、つまり、今の南京で皇帝になったあと、人の恩というものを忘れず、特に幼い時や若いときに世話になった何人かの人を大事にした。なかでも抹山のふもとに住む趙さん夫婦、石門山のふもと子狐庄の汪おばさん、そして二郎廟に住む王かあさんらは朱元章の命の恩人と言える人々だ。
洪武三年、朱元璋は汪おばさんに褒美をもらいに人を都に来させるよう伝えた。
実は朱元璋が帝の座に着いたときに、汪おばさんは、むかしは重八と呼んでいたこの義理の息子のことを耳にしており、かなり喜んでいた。そこで、汪おばさんの息子であり、朱元璋が世話になったときに義兄弟の契りを結んだ汪文が、さっそく都に尋ねに行こうと言い出したが、汪おばさんはなんと首を横に振っていう。
「重八はね。貧しい者から皇帝になったんだよ。明という国は大きいんだから、とても多くのことを始末しないとやっていけないんだよ。国が一応治まってから尋ねに行けばいい。何年があとに尋ねにいけばいい。重八は私らのことを忘れたりはしないから、きっと」
これに汪文はそれもそうだなとあきらめた。そしてそれから三年たったいま、朱元璋が都に来いといってきたのだ。これを知った隣近所や親戚が、汪文が役人になれるよう朱元璋に頼めと勧めた。それにまだ都に行っていないのに、もう汪文を役人扱いし、はやくもおべっかを使ったり、おだてたりする者すら出てきた。正直者の汪文はこれに顔を赤くして、やめろ!やめろ!という。
汪おばさんはそんなことにはかまわず、自分が行くか息子が行くか、または親子二人で行くか迷っていた。するとおとなしい汪文は、三年前と違って都に行くのが、どうしたことか怖くなり、隣近所や親戚が帰ったあと、不意に地べたにしゃがみこんでしまったわい。
「おっかあ、だめだ。おいらは肝っ玉が小さくて行くのが怖くなった」
「なんだい。だらしがないねえ。お前それでも男か!」と汪おばさんは叱ったが、幼いときから気が小さくおとなしい息子のこと、仕方ないので自分一人で行くことにした。
「おっかあ、すまねえな。実は頼みがある」
「なんだい?」
「さっき隣近所や親戚のいうことなんかほっとけよ」
「うん?」
「だからよう。都にいっておいらが役人になることだよ」
「お前いやなのかい?」
「おっかあ、考えてもみろよ。うちには代々役人になった人はいないし、役人になったとしても、しくじったらおいらの恥でもあり、重八の顔に泥を塗ることにもなるんだぜ。また、田んぼや畑なんかをくれてももらうなよ。今あるだけで十分だ。多すぎて、もし荒れ果てたら田んぼや畑がもったいない。おっかあ、わかったかい」
これに汪おばさんは、息子の言うとおりだと感心した。
「でも都で皇帝になった義理の息子に会いに行くのに土産がなくちゃね。皇帝ともなれば、ほしいものは何でもあるだろうしね。だからといって手ぶらでは人に笑われるに決まってる。金や銀はないけどどうしよう。こまったなわい」と苦い顔をしていると、庭で鵞鳥が「ガアー、ガアー」と鳴きだし、そのうちに家の中に餌をあさりに来た。これをみて汪おばさんはにっこり。
「え?お前も都にいって私の義理の息子に会いたいって?」
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