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ミャオ族の3姉妹

2009-12-06 13:47:28     cri    

 中国には漢族のほか、55の少数民族がありますが、ミャオ族は精巧な銀の飾り物と美しい民謡でよく知られています。ミャオ族は主に貴州省黔南、ミャオ族トン族自治州の山村に暮らしています。ある農家に3人の娘がいて、共に歌に長じ、その歌声が山から首都北京、さらに、ウィーンの音楽ホールに伝わりました。

 長女の名前は阿桑、次女は阿依、3女は阿多と言います。それぞれ貴州省民族自治州の3つの歌舞団で活躍し、いずれも国家級の専属俳優であり、各自の領域で優れた成績を上げています。

 両親は貴州省黄平県でよく知られている歌手でした。村の農家がめでたい事があるとき、頼まれて歌を歌います。こうした環境の中、3人の娘は自然に多くの民謡を歌えるようになりました。阿多さんの話によれば、ミャオ族の人々は生まれつきの歌と踊りの天才です。歌声の中で寝付き、目覚め、常に歌を口ずさみます。

 1970年代、16歳の阿桑さんは県の文化館に転職し、貴州省黔東南州で行われる芸能公演に参加しました。1975年、中国少数民族の高級学府・中央民族学院へ入学しました。辺鄙な山間地帯にあるミャオ族の村の若者が大学に入ったことは当時、少ないことでした。入学通知を受けたとき、北京の大学に入ることなど両親は全く考えていませんでした。というのは何世代もこの山奥に住みついた農家には、これまで一人の大学生も出ていませんでした。娘が大学に入ることは思いもしなかったことです。

 阿桑さんの話によれば、入学通知を受けた後、一家は非常に喜んで、一晩、誰も眠れませんでした。父母は嬉しくて酒を飲みました。村では、めでたいことがあれば、村人は歌いながら酒を飲んで、祝う慣わしがあります。村の人々はその日、深夜までうちで歌ったり踊ったりしたそうです。

 姉さんが北京の大学に入ったことは二人の妹を励ましました。努力をして、阿依さんは上海音楽学院に、阿多さんは貴州民族学院に入学しました。3姉妹は山間から飛び出したミャオ族の3羽の鳳凰と言えます。

 3姉妹が卒業した後、国内外の舞台でミャオ族の歌を歌い、10余りの国と地域で出演しました。阿依さんは「1994年イタリアで出演し、民族の服飾をまとい、『芦笙の恋歌』を披露し、熱烈な拍手を受けました。翌日、ローマの町を観光した際、多くの市民が私に話をかけてきて、昨日の演出は彼らに美しい印象を残し、歌声と服飾はすばらしかった」と話してくれました。

 もう一つ忘れがたい事について、阿依さんは「上海音楽院で勉強したとき、アメリカのレーガン元大統領夫妻の歓迎式に参加し、民族衣装を着て、杯を挙げて、ミャオ族の民謡を歌いながら、酒をささげました。レーガン元大統領は本来、酒を飲まない人でしたが、私のささげた酒を一口で飲んでしまい、こんな綺麗な服を見たことがなく、こんなにきれいな歌を聴いたこともないと非常に満足そうでした」と話しました。

 3人の姉妹は人気があり、常に公益活動を組織しています。

 3姉妹は育ててくれた故里の人々に恩返しを忘れていません。彼女たちは黄平県旧州中学校で芸術学校を作りました。不定期で学校で自ら教えています。国内歌壇によく知られ、ウイーン音楽ホールで人気を集めた歌手阿幼朶さんは実は阿桑さんが十数年心血を注いで育てた学生です。3人の姉妹は努力を通じて、ミヤオ族の文化を世界に紹介しようとしています。(翻訳:トウエンカ)

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