ノモンハン戦争遺跡陳列館は内蒙古フルンボイルのバルグ草原にあり、陳列館の前に大きな鐘があり、鐘には中国語とモンゴル語で、70年余り前にここで発生したノモンハン戦役の経過と、平和を祈念する人々の願いが刻まれてあります。
1939年5月4日、今のフルンボイル市新バルグ左旗(新巴爾虎左旗)とモンゴル人民共和国との国境地域にあるノモンハン(諾門罕)で、ソ連紅軍とモンゴルの騎兵からなったソ連・モンゴル連合軍は日本の関東軍との間で戦争が起きました。今回の戦争には、双方から、兵士計20万人余り、大砲500門余り、航空機900機、戦車と装甲車約1000両が投入され、計6万人余りが死傷しました。戦役は135日間に渡って行われましたが、日本軍の失敗で終わりました。
この戦役で、傲慢きわまる日本はソ連軍を前に心理的障害が生じたため、北進してソ連を侵略する国策を、南下してアメリカを襲撃する政策に変えざるを得なくなったということです。
陳列館から遠くない所にある世界反ファシズム戦争ハイラル(海拉爾)記念園には、日本軍細菌部隊が細菌兵器を使用した歴史を展示する展覧館があり、日本軍が人類に反する兵器を使った証拠が展示されています。
記念園のコメンテーターは、「当時、日本関東軍が修築した『東桜台』と呼ばれる陣地の下に、日本の731細菌部隊の支隊である『満州第543支隊』の施設がある。日本軍の軍属を装った日本人研究者226人がここでペストと腸チフスの実験を行い、極悪非道の罪を犯した」と述べました。
70年余り経った現在も、ノモンハンで生活している一部の人々はまだまだ、日本軍の細菌戦がもたらした遺伝病で苦しめられています。「日本軍が地元の人々に対して犯した罪を許さない。この歴史を忘れてはならない」と見学者は話しています。(玉華、kokusei)国際・交流へ
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