中国国際放送局開局65周年記念番組「65歳のCRI」。その第2回、世界はみんな友達!
12月3日は、中国国際放送局、65回目の誕生日です。
中国国際放送局は、英語や日本語など38の外国語、さらに、広東語や客家語など4種類の方言による放送を、全世界に向けて発信しているラジオ局です。
私たちの仕事で最もうれしいのは、世界のみなさんと、心の触れ合いができることです。
2004年3月、中国の温家宝首相は、ある記者会見の席上、こんなエピソードを語りました。
「アメリカ・カンザス州から、私への質問状が届いたんです。質問は全部で54もあって・・・中国の政治に関する質問もあれば、経済や文化、社会など、さまざまな分野に及んでいました。また、私のプライベートに関する質問もありましたね。たとえば、『好きな食べ物は何か』とか、『カンフーはできるか』とか・・・『靴のサイズは何センチか』という質問もありましたよ。とにかく、差出人の方々は、中国に強い関心を持っているんだと感じましたね」
実は、この質問状は、中国国際放送局のリスナーが送ったものでした。差出人は、昔から英語放送を聞いているワイルズさん。ワイルズさんは教師の仕事をしています。54の質問は、ワイルズさんと彼の生徒たち30人が一緒に考えたものだったのです。
ワイルズさんは、もともと、中国について何も知らなかったといいます。しかし、中国国際放送局の英語放送を聞くうち、中国文化に対する興味がだんだん湧いてきたのだそうです。「英語放送を通じて、中国文化についていろいろ知ることができましたね。たとえば、中国にはどんな祝日があるか、とか・・・旧正月のこととかね」
ワイルズさんは、自分の教え子にも、中国国際放送局の英語放送を聞くよう勧めています。そんななか、2004年のある日、ワイルズさんが番組を聞いていると、中国の全国人民代表大会と政治協商会議の開催に先立ち、温家宝首相が記者会見を行うことが分かりました。そこで、ワイルズさんは、生徒たちから、「温家宝首相への質問」を募集しました。数日のうちに、54の質問が集まりました。ワイルズさんはこれらの質問をまとめ、「温家宝首相に渡してほしい」と、中国国際放送局に相談してきたのです。
自分たちが送った質問状について、温家宝首相が記者会見の席で語るとは・・・!ワイルズさんは、「夢のようだった」と語っています。
ちなみに、このワイルズさん、中国国際放送局の『新中国55周年』というクイズ番組に応募し、特賞を授賞したこともあります。賞品は、北京・西安旅行。ワイルズさんにとっては、初めての中国でした。
「これまで、中国について知識を深めようと、本を読むなどしてはいたんですけどね・・・。今回、実際中国に来て、自分の目で中国を見て、中国の深い文化に改めて感心しましたよ」
開局から65年。
国際放送局の番組を聞いて、中国文化に興味を持った人も多いようです。
スペインのリスナー、アリハンドロさんもそのひとり。毎晩、ラジオの前に座って、中国から届く声に耳を傾けています。「どれもいい番組ですね。社会生活や中国文化、観光に関する番組は、特によくできていると思います。まったく違う国の文化を知ることができて、おもしろいですね」
ケニアのシャーリフさんも、リスナーのひとりです。シャーリフさんが聞いているのは、スワヒリ語放送。シャーリフさんは、今年、「私と中国国際放送局」というクイズ番組で、特賞を授賞しました。今回、開局65周年の記念式典にも出席する予定です。シャーリフさんは、「8年前から、中国国際放送局の番組を聞いています。最近は、国際放送局のFM放送局がケニアに開設されましたから、より聞きやすくなりましたね。毎日かかさず聞いていますよ。文化・歴史・音楽・観光などの番組が好きですね。国際放送局の番組を通じて、中国のことがどんどん好きになっていきますね」と語っています。
ただ、ラジオを聞くだけではありません。
リスナーの中には、リスナークラブを作り、リスナー同士の交流活動を行っている人たちもいます。国際放送局のリスナークラブは、現在、世界各国に3600余りあると言われています。
また、おたよりをくれるリスナーも多くいます。2005年、世界のリスナーから届けられた手紙やメールは200万通に達しました。今年は、もっと多くなる見込みです。
中国北部、河北省易県。農村の貧しい子供たちのために建てられた希望小学校があります。この小学校は今年開校6周年を迎え、夏、記念式典が行われました。
この小学校は、日本語放送のリスナー、長島敬一さんの寄付によって建てられました。開校6周年の記念式典には、長島さんら関係者が出席し、お嬢さんの由香さんが児童たちと一緒に歌を披露しました。
記念式典で、長島さんはこう語ってくれました。
「国際放送局のおかげで、この学校ができ、この後もずっと続いてことは、ここにいらっしゃる局長さんと副局長さん、そして幹部の皆さんの努力に非常に感謝しております」
式典が行われてから、わずか数ヵ月後。『長島さんが亡くなった』という知らせが、日本から届きました。
1 2
|