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二時間目 中国の大学生と共に、横浜を語る~横浜市上海事務所所長・斎藤信明さん(下)

2017-08-29 21:35:43     cri    


聞き手:王小燕

 横浜港から世界に向かって一番多く輸出しているものは何か、コスモワールドの大観覧車は、最初は何のために作ったものだったのか、赤レンガ倉庫はなぜ1号館と2号館とで長さが異なっているのか、横浜市のGDPの規模は…今回も斎藤所長が中国の大学生と熱い対話が展開されます。ウェブサイトから集まった中国人聴取者の横浜イメージや一押しの堪能の仕方もお聞き逃しのないように。

 横浜の歴史や都市づくりの歩みに関して、斎藤所長がおすすめの本は、『横浜 交流と発展のまちガイド』(南学編著、岩波ジュニア新書)です。以下がこの本からの抜粋です。

 【大桟橋(おおさんばし)】

 横浜案内の第一歩を大桟橋にしたことには、二つの理由があります。一つは、1859年、横浜が開港したときに最初につくられた波止場(防波堤)が、この大桟橋の付け根付近にあったことです。この波止場は、その後拡張され現在の「象の鼻」の原型となったのです。もう一つは、大桟橋から横浜の歴史が見渡せるということです。

 【赤レンガ倉庫】

 赤レンガ倉庫には一号倉庫と二号倉庫があり、両方とも、横浜正金銀行(現在の神奈川県立歴史博物館)を設計した建築家妻木頼黄(つまき よりなか)の設計ですが、建てられたのは二号倉庫のほうが早く、1907年に着工、1911年に竣工しました…同じ規模の一号倉庫のほうは、1908年に着工、1913年に竣工でしたが、こちらはのちの関東大震災で約三分の一が崩れてしまいました…二号倉庫には、ドイツから輸入された鋼材(防火扉に使用)と国産の鋼材が使われ、317万500個のレンガを、ていねいに積み上げて建てられました。

 【大観覧車】

 パシフィコ横浜の横にある大観覧車(コスモクロック21)は、1989年に横浜市政の100周年を記念して開催された横浜博覧会のときに作られたものです。博覧会の終了とともに取り壊される予定でしたが、非常に人気があったので、港周辺の雰囲気に合っていたことから、その周辺の遊園地よこはまコスモワールドと一緒に楽しめるアミューズメント施設として位置を移して残されることになりました。

 【プロフィール】

 斎藤信明(さいとう のぶあき)さん

 1977年生まれ

 2002年 創価大学経済学研究科博士課程前期終了後、横浜市に入庁

     横浜市交通局などでの勤務。

 2008年~2010年 経済産業省に出向

 2010年9月~13年9月 浙江大学経済学院博士課程に留学。

 この間、2010年に開かれた上海万博の日本産業館の企画イベント「横浜ウィーク」に企画者として参加。2014年2月から 公益財団法人横浜企業経営支援財団に入社し上海に赴任して、現在に至る

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