9月下旬、日本軍第11軍106師団の主力部隊が単独で、徳安の西にある万家嶺地域に侵入してきた。中国の第九戦争区域では、日本軍の戦闘機を発見した後、第四軍、第六十六軍、第七十四軍などの部隊から兵士10万人を派遣し、敵軍を迂回して、四方を囲んだ。双方は万家嶺とその周辺地域でぶつかり激戦を繰り広げた。10月の初め、日本軍第27師団の一部が援軍として派遣されたが、中国の第三十二軍などの部隊により万家嶺西側にある白水街地区で撃退された。万家嶺地区の日本軍は孤立化し、補給が絶たれた。
10月7日、中国軍は万家嶺の日本軍に総攻撃を行い、3日間に及ぶ激戦の末、日本軍第106師団の4つの連隊のほとんどを殲滅し、万家嶺だけでなく周辺の日本軍の拠点を奪還し、万家嶺の戦いは大勝利に終わった。
万家嶺での大勝利は、中国軍が武漢会戦において収めた重要な勝利で、平型関での大勝利、台児庄での大勝利と並んで、抗日戦争の守備期間における3大勝利と呼ばれている。万家嶺での大勝利は日本侵略軍惨敗の典型的な例であるが、これまで日本軍は明言を避けている。
万家嶺大勝利の公文書資料
1938年9月27日、第一兵団の薛岳司令官が戦争の進捗状況を報告するために蒋介石に送った電報(中国第二歴史公文書館提供)
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