1945年8月26日、何応欽陸軍総司令が命令を出し、中国戦区を16の降伏受諾区域、100カ所の武装解除受諾のステーションに分け、降伏受諾の主官を指定しました。16の区域はそれぞれ、北ベトナム区、広州地区、汕頭地区、長衡地区、江西地区、浙江地区、滬(上海)寧(南京)地区、湖北地区、徐(州)蚌(埠)地区、平(北平。現在の北京)津(天津)地区、山西省、洛陽地区、郾城襄燓地区、山東地区、熱(河)察(哈爾)綏(遠)三省地区、台湾地区です。中国共産党が指導した敵の後方抗日武装の八路軍、新四軍、華南抗日縦隊はいずれも、日本の降伏受諾の地域に入れられませんでした。
1945年8月、軍令部第二庁第一処が編集した「日本の降伏紀要」(中国第二歴史公文書館提供)
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