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春―花の讃歌 【安徽農業大学 徐敏】

2013-09-30 11:11:43     cri    

 ある朝、いつも通りに通学路を歩いていると、ふと目の前に一枚の花びらが風に乗って舞い落ちてきた。その時、私は「ああ、春が来たなあ。」と思った。考えてみれば、春と言う季節をはっきりと意識したきっかけはいつも花なのである。花が春の天使だと呼ばれているからだ。

 春、即ち花の人生の晴れ舞台だ。晴れ渡った青空、限りなく微笑んでいる太陽、透き通った水、全ての画面が花の登場で色とりどりになり、美しくなっている。この絵のような風景を目の前にすると、誰でも耐えきれず筆を揮いたくなるだろう。「春雨の しくしく降るに 高円の 山の桜は いかにかあるらむ」(河辺東人より)無論、花に関する和歌や俳句が数え切れないほどある。花の姿が人によって違うからだ。しかし、人々が詠んでいるのはおそらく花ではなく、自分自身の人生かもしれない。花と人間の生き方には共通するところがあるのだ。

 春はほんとに花の讃歌なのか。それは私の想像にすぎないかもしれない。花は本気で生きており、賞賛されるために咲くわけではない。小さな種の時から、重い土に覆われ、暗い、切ない日々に堪え、咲き誇る日になるまで、努力を重ねている。花には夢があるのだ。たとえ人に気づかれない小さな花でもその夢は図れるものではない。これは全く我々の人生と同じだ。私達は何の為に生きているか、また何の為に頑張っているか。誰でも自分の夢に答えが見つかるはずだ。「そうさ 僕らは世界に一つだけの花 一人一人違う種を持つ その花を咲かせることだけに 一生懸命になればいい」この歌詞のように、我々は頑張っていればどれもきれいな花だ。頑張っていればきっと春が命を咲かせる。

 チューリップ、水仙、牡丹、菊、桜…春に咲く花の種類は多種多様だ。その中で一番なりたい花と言えば、春の真っ先に咲く梅を選びたい。梅の花言葉は謙遜、高尚な人格なのだ。たとえ花の盛りは短く、あっという間に人々に踏まれ無残な姿になってしまっても、地上の泥にまみれた花びらが百花缭乱の春を迎えに命を捧げる。

 「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」―唯春に会いたい。

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