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春の雨 【華南理工大学 陳碩】

2013-09-30 11:10:35     cri    

 窓の外、春雨はまだ降り続いている。

 このしとしと静かに降り続いている雨の中に、遥か緑の山がかすんで見える。まるで夢の中のような風景である。小さな雨が窓にあたり、きれいな歌を奏しているように聞こえてくる。私の思いはこの歌とともに、この春雨の中に溶け込んでいく。

 子供のとき、山東省にある古里で体験した春雨を今大人になった今も、ありありと覚えていて、とても印象深い。春雨が降った後の野原が、細かい雨に洗われたおかげか、一層青緑になってきたような気がした。風に軽く吹かれて、ちょっとひんやりとした雨が顔に当たると、涼しく感じた。

 雨が上がった後、村の北にある小川の水量が前より少し増えてきた。そのときの私の一番の楽しみは幼なじみの立立ちゃんと康ちゃんとともに小川へ魚釣りに行くことだった。

 小川の魚にたくさんえさをやって、それを釣る。それは大きな魚ではなく、長さとしては、人差し指くらいの長さにすぎないごく小さな魚であった。それにもかかわらず、私たちは誰の魚が一番大きいかと互いに比べたりするくらい楽しく夢中になり、魚釣りに興じていた。「君の魚が大きいけど、俺は君より二匹も釣ったよ」と立立ちゃんはいつも私に自慢していた。

 食事の時間になると、私たちはいつも一緒に家に帰った。帰り道は転んだり、滑ったりしやすい道なので、私たち3人は互いに手をつなぎあっていた。春雨に洗われた道を一緒に歩いた場面は今でも忘れられない。

 去年の冬休み、私は一年ぶりに古里に帰り、立立ちゃんと康ちゃんに再会しようと思った。しかし、残念なことに、立立ちゃんが他の都市へ出稼ぎに行っていたので、ずっと会いたかった彼には会えなかった。「立立さんは?」私は康さんにたずねてみたが、「私も一年ぶり、彼には会えなかったのよ。彼は今年の春節にも都市に残り、古里には帰らないそう。」と康さんは言った。「そうか」と、一瞬、何とも言えない寂しさを感じ、私も康さんも急に黙り込んでいた。

 大学にもどる前に、私はその小川にもう一度行ってみた。記憶の中にある小川の美しさはもうなかった。康さんたちと幼いころ遊んだ場所も見つからなかった。

 子供のときから、康さんたちと、毎日、このように、楽しく日々を送り、互いの友情が永遠に変わりはしないと信じていた。私の人生で、どんなことにあっても、どこへ行っても、彼らはずっと私の味方で、必死に一緒にいて、互いに支えあっていく、一生の親友だと信じていた。でも、今振り返ってみると、彼らはどんどんわたしのもとを離れていった。成長していくと共に確かに友達も増えてくるけれど、心が通い合う友はますます少なくなるような気がする。 恐らく人生が終点に着くころ、本当の友といったら、やっぱり少年時代に一緒にばかばかしいことをした奴等なのかもしれない。

 「人生とは何かを手放すことだ。 そして一番悲しいのは、別れを告げられないまま別れることだ。」と、なぜか分からないが、急に「パイの物語」という映画の中のせりふを思い出した。

 窓の外で春雨がまだしとしとと降り続いている。康さん、立立さん、雨だよ、傘を持っているのかい?

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