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春めく 【温州医学院 章潔冰】

2013-09-30 11:10:01     cri    

 春めいてきた、サンサンと振りそそぐ春の日の光のもと、一面を黄色に染めている菜の花畑のイメージが頭の中に浮かんでくる。

 春めいた3月、花のつぼみが膨らんで、生命の息吹を感じさせられる。春になると、何となく気持ちが柔らかくなって、体に活気が出てくる。春めいたとき、うきうきする私たち。春は生命力と希望が溢れる季節で、ほかの季節とは比べものにならない。みんな自分なりの四季を持っている。種をまく春、耕作の夏、収穫の秋、休息の冬である。

 しかし、春に種をまかずに、ぶらぶらと怠ける人もいれば、夏に急いで収穫をしたがるもいる。たとえば、日本語学習の場合、束の間の享楽を追い求めて、日本語の単語や文法の勉強を怠けて、大学時代をそのまま無駄に過ごす学生がいる。これらの単語は実用的ではないから覚える価値がないと、よく言い訳をする。その結果、日本語がなかなかできるようにならない。他人と比べて何も習得していない自分に対して、後悔する。

 この三年間、沢山の単語や文型を覚えたし、練習問題も繰り返ししたが、日本語がまだ下手な学生もたくさんいる。がっかりして落ち込んだり、やっぱりだめだなぁとあきらめたい気持ちになったりすることがよくある。それはただ一時の気持ちだ。成功とは毎日目に見える進歩のことではなくて、日本語の学習をずっと頑張って続ければ。ある日自分が以前よりずっと高いレベルに至っていることに気がつく。

 青春時代、私たちは元気いっぱいにいろいろなことを体験する。でも私たちの考え方は幼いかもしれない。外界の誘惑に抵抗できず、夢を捨てるかもしれない。最初の夢をまだ覚えているか。その時の誓いもまだ忘れていないだろう。

 「私はただ海の前で、春が来て花が咲くのを待っている」という素朴な詩句は人々の心を温める。功名と金銭に関係のない夢。そしてこの詩人のように落ち着いた心境を、どんなに多くの人が願っているであろうか。しかし、このような暖かい詩を作った詩人は自殺してしまった。ごく平凡な私たちはどうすればよいのか。日本語を一生懸命勉強しているが、将来日本語と関係がない仕事をするかもしれない。そのとき、どうすればいいか。現実に妥協するのか。いや、そうしたくない。心の底からこういう声が聞こえる。どんな苦労があっても、夢を捨ててはいけない。夢を持って最後まで頑張り抜くのは難しくて寂しいが、いくら人に嘲笑されても、苦しみを耐えしのぼう。心に夢があれば、迷いと困難を乗り切れる。

 耕作して初めて、収穫がある。努力して初めて、夢が実現できる。春めく私たち、朝の太陽のように、情熱があって、元気いっぱいで、希望は私たちに託され、世界は私たちに属する。

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