「疲れたな…」と、わたしはバスを待ちながら、呟いていた。
今日はアルバイトの三日目だ。四日間、毎朝六時半ぐらいに寮を出発して、夜五時まで仕事をしなければならない。忙しい仕事に慣れた会社員と違って、大学に入ってから初めて自動車展示会の仕事として、ビラをまいている。車酔いするから、毎日バスに乗らなければならないのは、わたしにとって大変大きな挑戦だ。
一人バス停で椅子に座りぼうとしていると、ふっと、一人の女性の姿が目に入った。40才ぐらいの農村からきた農婦みたいだ。さまざまなビニール袋を手に提げ、背に毛布のようなものを背負い、地味な服はほこりにまみれ、とても疲れたような顔をしている。「一晩中汽車に乗ってきたのだろう。誰を訪ねてきたのだろう。」と思った時、彼女はわたしの方に向いて、小さな声で、「第二附属病院に行くつもりだが、どのバスに乗ればいいのでしょうか」と不安げに尋ねた。「100番でいいですよ」とわたしは答えた。そして、「誰をお見舞いに行くのですか」と聞いた。「弟が・・・」彼女はためらいながら、「工場で仕事をしている時に傷を負って入院してしまったの。工場は賠償してくれるどころか、弟はクビにされた」と話を続けた。
もう立春は過ぎたのに、その話を聞いて、寒さに耐えられないほどがっかりした気持がわたしの全身を取り囲んだ。
なぜ、文明社会でこのようなことがおきたのか?法律は社会の弱者を守るべきではないか?この事件は社会に法律の力がまだまだ行き届いていないことを示している。
私の故郷も農村で、両親は平凡な農民だ。彼女より少し字が読めるが、法律などは全然わからない。ある時、親達が都市に行くことになった。私は、両親は都市に行って安全に生活できるだろうかと、考えれば考えるほど、心から心配した。
黙っていると、100番のバスがついにやってきた。驚いたことに、重い荷物を両手でつかんで、そのおばさんはすっと立って急いでバスに向かった。わたしは一瞬感動した。きっと弟が心配で、早く会いたいのであろう。それは家族の間の素朴で美しい感情だ。その美しさは春のように人の心を温めて、希望を導いてくれるものだ。
この世に生きているわたしは、この社会を愛している。人々が希望を持てる社会は春のように暖かいだろう。
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