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春について 【浙江工業大学 張美樵】

2013-09-30 11:08:37     cri    

 街路樹はまだ殺風景なのに、遠く窓の外を見ると、春の兆しを感じる。

 春の彩りはなんと鮮やかであろう。太陽が赤々と輝き、空が紺色を湛えている。枝は薄绿を帯び、迎春花も美しい黄色を添える。詩诗人が好んで春を吟唱し、画家が嬉々として春を描くのも、それは当然であろう。春は世界のすべての美しいものとすべての色彩が融合するときであるから。

 好奇心のおもむくまま春を探しに行く。ほどよい陽気に恵まれて、杭州ならではの美しさが余すところなく展開している。景色といい、空気といい、まるで時間と空間を越えて、何一つ悩みのないところに来たかのように感じる。時間に縛られずにのんびりするために、誰もが時計を見ないという約束をする。水辺に座って、お茶を飲んだり、水郷を行く人を見たりするうちに、なんとなく全てのプレッシャーが消えてしまう。地上を見下ろす凧を見て、鳥になりたいと思う。空を自由に飛翔して、春の魅力をいっそう感じてみたい。

 眩しいほどの青空に浮かぶ真っ白な雲、木々に輝く木漏れ日の戯れ、澄み切った小川の流れ、それらが織り成す光景が全て目に入る。「見事だ」と感嘆し、「どうして冬の衰勢は隠れてしまい、かえって春の息吹はこんなに盛り上がってるのか」と驚く。山々は深緑の草木で覆われている。その草は新しい命を得て頑張って生きている。日光を浴び、私の心はますます大自然の素晴らしさに引かれる。

 緑は、心理学からすれば安息を与える色だそうだが、芽吹く山を見ていると、その緑の生気のすさまじさに攻めたてられる思いがする。「自然界において人間は消費者でしかない。微生物は還元者、植生のみが生産者だ」という一文をたまたま新聞のコラムで読んだが、なんだかその意味が真にわかったような気がした。自然の生命力としっかり向き合うためには、こちらにもあふれるほどのたくましさがなければならないのだろう。

 草は草ならではの価値観を持って、自分の運命を疑いなく信じて挑戦し、一生懸命に春の足跡を追いかけ、ついに緑になる。

 同じように人々もまた、どのように一生を過ごすかということについてよく考える。理想的な人生を求め、そのために努力するわけだ。私も自分なりの人生観を持っている。

 人は何かの拍子に立ち止まらざるを得ない時がある。大きな悩みを抱えたり、体を壊したり、思ったとおりに物事が進まなっかたり、新しい考えに出合って戸惑ったり。草のように、なるべくジタバタしないで受け止めよう。

 もちろん、最初は難しい。だけど、ちょっとした失敗やへまというものは、逆に平坦な日常にアクセントを付け、自分を振り返って見る機会を与えてくれたり、新しい始まりを用意してくれたりするものだ。草のように、頑張って冬を耐え抜き、春を迎えることには意義がある。

 春とはなんと巧妙なものだろう、人生も。

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