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春の癒し 【西北大学 陳悦】

2013-09-30 10:57:37     cri    

 「お疲れ様でした、お先に失礼します」と疲れ果てた顔を隠せずに皆にいって、今日のバイトを終えた。「赤松」という文字模様が縫ってある紺の暖簾をくぐって出ると、京菓子の老舗の持つ古びた上品さより、仕事上のお菓子屋の厳しさをしみじみと実感した。くたくたとした足取りで私はここから五百メートルくらい離れている平野神社の一隅にある駐輪場へ向かった。

 駐輪場の木の下に何台かの自転車がまばらに置いてある。マイバイシクルの新緑っぽい色は周りの植木と非常に調和している。緑の好きな私はなんとなく中古車屋の前に並べてある自転車の陣形から、一目でグリーンのこいつをみつけたのだ。私にとっては、緑は大好きな色で、のどかな春は最高な季節なのだ。

 自転車の鎖に鍵を挿すとき、頭上のこずえが微風にそよぐ音が聞こえてきた。仰いで見ると、枝に沿ってピンクっぽい蕾が鈴なりのように付いていて、つい「日本の四季がはっきりしている」という句を思い浮べた。

 自然物だけでなく、和菓子屋という所も季節に対しては非常に敏感である。店長からの「桜の花見のために明日から予定通り神社前の茶店を出すから、皆で一緒に頑張りましょう」という励ましの言葉を思い出すと、私は不安になった。

 バイト内容は週に四回のシフトで、裏側の作業台でお菓子の包装をしたり、店の前で接客したりすることだ。だが、職人たちはほとんど作業中は早口なので、指示を聞き間違えて、相手の機嫌を損ねたことがよくあった。それに、接客中、自信のあった敬語の使い方も何回も店長に厳しく注意された。ずっと日本の茶道に興味を持っているから、憧れだった和菓子屋に採用された時には、私はうれしくてたまらなかったが、今は日本伝統文化に対して少し恐ろしさを感じ始めた。

 京都の盆地地形のせいで、帰り道は坂ばかりであった。坂を上れば上るほど身も心もつらくなって、涙がぽたぽた落ちた。

 下宿に着くと、「どうぞ、食べてみて、これは春のあじだよ」と優しい管理人がにこにこしながら葉がくっついてるピンク色の団子を手渡してくれた。「赤松」で見たことがある二つの桜餅だった。お礼を言って、すぐ部屋に戻った。が、食べる気にならず、疲れた足取りでベッドにたどり着いて、そのまま横になった。

 次の朝、早起きして自転車を取りに行った。さらさらと清水の流れている駐輪場の用水路に寄ってみると、澄み切った青空がかすかに揺れている波紋に映されている水面は青々として、とてもきれいだった。今日は晴れやかな日だなあと思いながら、下宿の駐輪場を出て、びっくりした――

 一夜だけで、昨日の鈴なりの蕾はほとんど鈴なりの花びらに変身した。

 大好きな春に日本ならではの桜の景色に大きな期待を持っていたが、いろいろ順調ではないことがあって、今やっと春の息吹を感じ始めた。目の前の桜が一斉に咲き乱れる景色はまるで優れた撮影作品のように、その美しさには言葉はない。

 桜餅の葉は食べられるとバイト先の先輩から聞いたことがあるので、昨日もらった桜餅を葉とともに口に入れた。案外噛みやすい桜の葉はすがすがしい香りがして、体をすっきりさせた。粒粒のもち米を噛むと、柔らかな味わいがあって、なんだか春の暖かさが感じられた。

 日本の春の味なのだ。管理人の言葉がやっと分かった。今日の茶店も方々に日本の春を味わわせるために設置したのだろう。「赤松」という老舗は優雅な存在であるというより、人間を自然に親しくさせるための存在だろう。日本の春の甘みと香りに癒されたように、元気づけられた私は微笑みを浮かべて平野神社のほうへ駆け出した。

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