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ほら!美しい花が咲いている。校庭は緑色に染まっている。知らず知らずのうちに、寒い冬が去って行った。春が来る。「一年の計は元旦にあり」という諺がある。普通に言えば、春は四季の始まりだ。その通り、春はまさに新しいスタートだと言ってもいい。
うららかな春の日差しの下、百花繚乱として咲き誇るこの良い時節に、いろんな思いが浮かんでくる。
子供の頃の思いだ。
子供の頃、春になると、よく田舎の祖父の家に遊びに行った。祖父の家は山から遠くなく、海からも遠くないところに位置している。住み心地のよいところだ。祖父と一緒に過ごした春の記憶がいっぱいある。
春の青空。
「春で一番好きなことは何ですか?」と聞かれると、「凧揚げ!」子供時代の私はいつもこう答えた。祖父は凧を作ることが上手だったので、毎回違う形をしている凧を作ってくれた。あの時、この上ないうれしさを感じた。「早く行こう!」新しい凧をもらった私はいつも祖父にこう促した。あの時の祖父はいつも微笑んで、しかたがないような様子をしていた。私は祖父と手を繋ぎ、外に飛び出した。私への祖父の愛が込められている凧が、春の青空に飛んでいき、遠くなり、小さくなった。空き地で笑顔に溢れて走っている祖父と子供時代の私。
春の味。清明節の故郷の伝統的な食べ物といえば青緑色の団子だ。何種類もの草から作られるものだ。材料の中身によって、味が違っている。毎年この頃、祖父はいろんな材料を用意して、朝早く起きてこの青緑色の団子を作り始める。ある日、私は好奇心から、祖父のそばで見つめていた。祖父は何種類かの私が知らない草を混ぜてから、もち米粉にこね入れた。後は丸い形を作り上げて、十分蒸した後にやっと食べられる。本当にいい匂いだった。もちもちして柔らかい味わいだった。蒸し器から噴き出す湯気、興奮しながら食べる祖父と子供時代の私。
春の印象。春の田舎の畑のわきを通ると、人々が種を撒いて耕している光景がよく見える。祖父もその中のひとりだった。裸足で、ズボンのすそを巻き、腰を下ろし働いている祖父の姿は私には印象深いものだった。時々、私は祖父を手伝って、農作の楽しみを感じた。畑で働いている祖父と子供時代の私。
だんだん大きくなってから、勉強のために都市に住むようになった私は一年の内に二、三度しか祖父の家に行かなかった。子供の頃の記憶はただの記憶になった。私が高校三年生の時、祖父が亡くなった。悲しくてたまらない。
春の記憶の中に、祖父はずっと生きている。
私にとって、春は思いの季節だ。
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