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春をたどる物語 【河南師範大学 王小梅】

2013-09-30 11:03:42     cri    

 春が巡って来るたびに、私はいつもときめきを抑えられなくなります。何故なら、春を迎えるたびに、幼い時のあることを思い出すからです。それは今から10年も前の、ある晴れた春の日のことでした。

 幼い時の私にとって、2歳違いの兄は離れることができない存在でした。通学する時も、学校から帰って遊ぶ時も、兄の傍にはいつも私がいました。そして、私にとって忘れられない出来事が起きました。

 その日、母は用事があったので、兄と私を祖母の家に預けることにしました。しかし、母の用事は急ぎの仕事でしたから、兄と私は二人で祖母の家に向かうことにしました。母は心配そうでしたが、どうしようもありませんでした。

「僕の傍から離れないでね」兄は私に言いました。「何故?」私が兄に問うと、兄は「だって、子どもを誘拐する犯人がいるからだよ。僕はかならずお前を守ってあげるから」と答えました。

 私と兄は暖かい春の日差しを浴びながら、心細さを抑えて、一緒に並んで歩きました。あの日の空の眩しさも道沿いの名前も知らない花の香りも、今でもずっと記憶の中に残っています。

 春と人生はよく似ているなあと思います。暖かい日差しに溢れた春の日でも、時には音もなく細かい雨が降り続くことがあります。

 春の雨は農作物の生育に大きな影響を与えます。植物が成長する時期には水が欠かせないからです。「春雨は油のように貴重だ」という言葉があるほどです。農村生まれの私は幼い頃から自然に親しんできました。庭には可愛いガーデンがあって、チャイニーズ・ローズが幾株か植えてありました。春雨が降ると、透明な水滴が葉を濡らし、緑はもっと濃さを増してくっきりと見えました。

 ある日、母は苺を植え替えようとしていました。その苺は私が見る限り、葉がほとんど枯れていて植え替えても成長しそうにないと思いました。母は私にこう言いました。

 「植物は案外強いものなの。枯れそうに見えても、土の中でしっかりと根を張って生きているのよ」

 数日後、雨が止んで雲の切れ間から陽が差した時、その苺が新芽を出しました。母が言った通りでした。私は踊り出したいほど嬉しくなって母に抱き着きました。どんな困難があっても、勇気を持ってしっかり耐えれば必ず克服できる。どんな暗い夜でも、明るい明日は必ずやって来る。私は幼心に人生の道理を学んだ気がしました。

 私は今、二十歳になりました。この年になってやっと、私はずっと家族の笑顔に支えられて成長してきたということに気が付きました。それに気が付かせてくれたのも、春という季節のおかげです。今、家族と離れて、私は一人前の大人になるための階段を一歩一歩上っています。大人とは自分だけにではなく、社会に責任を持つべき者です。子どもの頃、私は早く大人になりたいと願っていましたが、大人になりかけている今、子どもの頃に戻りたいという気持ちも湧いてきます。

 今年もまた春が来ました。春は、冬の厳しさを耐え抜いたものに、生命の喜びを与える季節です。私は今、春の中にいます。春の魔法に多彩に染められて、遠い昔を思い出しながら、暖かい日差しに酔いしれています。

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