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春、夢の季節 【西南交通大学 田格嘉】

2013-09-26 14:59:50     cri    

 「春を愛する人は 心清き人 すみれの花のような 僕の友達」

 誰もよく知っている歌のようにたくさんの人が春を好む。春になると、万物が蘇る。窓を開けると、りんご、梅、梨、桜のような、いわゆる春の花の代表が前後する暇もなく、一時にぱっと開いて、まるで童話劇の前にでもいるような気を起こさせる。少女たちは冬の厚い服を脱いで、ワンピース、ミニスカートなど、色取り取りの服で青春のマーチを演奏しはじめた。暖かい日が来ると、一家揃って花見に行く。暖かい日差しの下で、家族と一緒に花見を楽しむのは春がくれた最高のプレゼントだ。

 先を争って咲いてくる花、優しい風、温かい親の笑顔、春はいつも賑やかで元気に溢れる季節だ。明るい性格の物を好むのは人間の本質だ。だが、私が春を好むのは、こうした一般的な理由のほかに特殊な個人的な意味もあるのだ。私にとって、春は明るいものだけでなく、夜の性質もあるのだ。私は、この闇の部分で春に夢中になったのかもしれない。なんだか、痛みのある幸せは人生最高の恵みではないか。苦痛を体験してから叶う夢こそ、価値があるのだ。

 春は夢の季節だ。春は夢の始まりだ。

 2010年の春

 汗いっぱいの高校時代の最後の春だ。あのころは本当に忙しかった。毎日は勉強ばかりで、友達と話す時間さえなかった。目を閉じれば、すぐ寝てしまい、食事の時間も試験問題で頭が痛くなる。試験か勉強か、いつも同じような生活を送っていた。遊びはだめ、恋はだめ、友情だって、いつの間にか、浅くなってしまった。3月の空は湖水のように澄み切っているのに、太陽は優しく世界を抱いているのに、次々と咲いてくる花は赤ちゃんのようなかわいい笑顔を見せてくれるのに、なぜ私の世界だけはそんなに苦しいの。まるで終わりのない闇の中にいて、いつも夜だった。春なんて、大嫌い。春が来なければ、私はきっと幸せだった。春が来ないと、入学試験もその圧力もない。私は昔のままで、楽な生活を送れれば、それでいいんだ。

 ある日、試験に失敗した私が不安で泣いた時、机を一緒に使っている優しい男の子が明るい笑顔で私に言った。「まあ、試験に失敗するなんて気にしなくてもいいよ。これから頑張ればいいじゃない。君はきっとできるよ。大きい夢を抱いているでしょう。大学に入って日本語を勉強したいって言ったでしょう。さあ、泣くな。これからが本番だ!」微笑みを浮かべたあの優しい友達は春を見せてくれた。そうだ。どうして私はいつも泣いているの。私が嫌いなのは春ではなく、臆病で泣くこと以外に何もわからない自分だ。そんな泣き虫は嫌だ。あの「大学」という夢、「日本語を勉強したい」という夢。それからはどんなに辛くても、どんな風雨があっても、絶対に諦めないと決心をした。2010年の春、辛くても、幸せだった。今思えば、なんとなく懐かしくなる。あの、太陽よりも明るい笑顔は今でも私を励ましてくれた。彼の優しい言葉はずっと心の奥に響いている。夢を抱いでいれば、それでいいんだ。あの輝く笑顔は私の春だった。いや、夢のために、一生懸命走って勉強に心を奪われたあの時期は私の春だった。

 2013年の春

 四季折々のながめにはそれぞれ独特の魅力がある。夏の熱情も秋の感傷も冬の静寂もみんな好きだけど、春ほど親しく感じる季節はなかった。もはや春の中に自分がいるような気がする。春には、あの勇気があって夢のために頑張る自分がいるのだ。今、大学三年生になった私はまた春を迎えた。大学生活はもうわずか1年しか残っていない。来年、4年生になると、大学を出て、就職しなければならない。不安があっても、何も怖くない。未来にどんな人と出会い、どこにいて、どんな苦痛があっても、春はいつもそばにいてくれたのだから。夢を失わない限り、春が付き合ってくれる。 

 「春を愛する人は 夢を抱く人 朝の太陽のような 私の友達」

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