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春はあけぼの 【杭州师范大学 励雯】

2013-09-23 15:16:39     cri    

 「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく、山ぎは少しあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。」

 春と言えば『枕草子』の冒頭部分を頭に浮かべる。花鮮やかな春ではなく、陽気暖かな春でもなく、やや寒気を感じさせる春を描いていた清少納言はなにゆえこのような春を私たちに見せたのか、または自分に見せたのだろうか。

 日がまだでていない頃、それを春の一景とし、好んでいる清少納言は目に浮かぶように千年を渡って私の心に入ってくる。女官として宮中の四季を見渡す彼女は強さあり、弱さもある女性だと思っている。出身はけしていいものとは言えない彼女は幼い頃から父に歌を習い、宮廷生活に憧れを抱いていた。そんな思いを胸に歌や文化をしっかり学び、博学で才気煥発な人に成長した。その幼い夢も自分の努力を通じて叶え、女官になって中宮定子に仕えた。最初は思うままの華々しい成功で、他の人が妬むぐらい洋々たる前途を見込まれていたが、それは桜のように短い開花だった。中宮定子が地位を失ったと共に清少納言の人生も曇り始めた。そのような人生を踏まえたゆえに、清少納言の「春」はそのような感じになったのではないかなと私は思う。

 雫に映り更なる美を人にひけらかす花びら、香り漂う甘い春の匂い、その全てが宮廷に入る前清少納言の目の前に広げられた絵巻。だが、時を重ね、身を持って現実を感じ取ったあと初めて知るのはその中にこもっている冷ややかな寒気かもしれない。それにしても、彼女は後悔したのか?そうじゃないと私に思わせるのがあの白くあがる山気と紫だちたる細い雲である。それが濁っている汚水の中に降り注ぐ清らかな水のように、曇った空に新鮮なる空気を入れた。凝った春ではなく、清潔且つあっさりとした春である。

 春はあけぼの。しかし、今、こういうあっさりした春を好まない人が多い。私もその一員かもしれない。色とりどりの世の中に流され、むやみに地位や名誉を追求する。そのうちに花の甘い香りに誘われ、いばらに傷つき、それでもなお追い続ける。それはいけない、そういう人は欲張り屋だと思う人がいるかも知れないが、私はそうは思わない。生活様式は皆それぞれで、青春は鮮やかでも構わないと思う。たとえそれが過ちでも、必ず意味がある。夢は地位、名誉で、それに向かって一生懸命頑張るのは汚いというより若さあるこその力だと思わないか。しかし、私は清少納言が描いた清らかな春を忘れないようにしていきたい。そういう人になっていたい。自分が年を取った時にそのような春を心から好み、楽しめるような人でありたい。

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