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春のない春 【四川省電子科技大学 王茂祺】

2013-09-23 15:12:53     cri    

――心にも あらで成都の 町景色 里の春との あふこともがな

 四川省の人といっても、私は南のほうに生まれたので、やはり北の成都に来たら慣れないことがある。その中の一つは、成都には春がないことである。

 故郷の濾州は、3月ごろになると、春の気分がしみじみと感じられる。冬に枯れた街路樹の葉は次々と落ち、町を覆ってしまう。その様子はまるで秋だが、街路樹の枝に新しく生まれた青葉をみて、やはり春が来たことに気づいた。そして、高校のとき、毎日バスで学校に通っていたので、バスの窓から眺めた町の景色の日々の移り変わりにも、春が来たことを教えられた。

 そよ風の涼しさ、日の光の暖かさ、また川の生臭さと草木のおだやかさ、いずれも濾州の春に欠かせないものだと私は思っている。なぜかというと、濾州には長江が流れているので、その川辺にこれらのものがすべて揃っているから。春の午後、よく一人で音楽を聴きながら、その川辺を歩いていた。そうすると、そんな長閑な自然の美しさに感心することはよくある。たぶん日本人が花見をするのも同じ感じだろう。

 でも成都に来てから、そんな体験は一度もない。最初は、私は成都にまだ慣れてないからだと思っていたが、二、三年たっても相変わらず春を愛することができなくて、ここには春がないことに気づきはじめた。春がないというのは言い過ぎたが、春がすごく短いことに違いはない。二月はまだ冬気分でとても寒いが、三月下旬か四月になると、急に気温が上がって暑くなる。昨日はまだセーターを着ていたけど、今日はティーシャツに着替えることも珍しくない。だから、成都には涼しいそよ風や暖かい日の光などは、めったにない。

 特に今年はわりに暑いので、成都の春も短くなってしまった。しかしこんな状況の中、ある日私は突然の春の気分に恵まれた。その時、私は一人バスに乗って成都の東へ通っていた。相変わらずイヤホーンをして車内で居眠りしていたが、熟睡中、私の目が突然何か明るいものにさされたようで、不機嫌のあまり目を覚ました。気がついたら、もうその光に射されて何分間も過ぎていた。朝はまだ小雨だったのに、少し居眠りしているうちに晴れるとは、とても驚いた。バスの窓から目を向けると、もっと驚いた。自分の目がくもったせいか、それとも別の何かのおかげか、町はきらきらしているように見える。濡れた灰色の建物、濃い緑の街路樹、水に覆われた道、きれいなシャツを着ている人たち、いずれも紗を羽織っているように、はっきりしていないけど美しく感じられた。もっとはっきりみたいので窓を開けると、風が車内に入ってきた。まだ雨か泥かの生臭い匂いの風だが、鼻に入ったとき、なんだかとても涼しく感じられて元気になった。なるほど、これが成都の春かと頷いて目を閉じても、さっき見た景色は瞼にはりついたように消えなかった。しかも、故郷の春の景色もだんだん浮かんできてそれとまじって目に映っていた。やはり故郷のほうがきれいだよねと思って目を覚ました。しかし、外の風景はさっきのように美しく見えなくなった。

 このとき私は気づいた。成都には春があるんだ。しかし、私は、すでに愛している春があるので、成都の春を愛することができなかったのだ。ここの春が美しいほど、故郷の春はもっと美しく思える。本当は、ここに春がないのではなくて、自分の心がまだ故郷の春に留まっているのだ。

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