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北京放送と篆刻

2010-01-26 17:30:21     cri    

 僕は今年後期高齢(75歳)を迎える中国国際放送局・日本語放送のリスナーです。

 初めて放送局を訪問してから今年で20年になります。20周年に因んで二十面の篆刻 額をプレゼントしたいと思いました。キーワードは「北京放送」と「篆刻」です。

 「北京放送」

 初めて耳にしたペキン放送が、曙光先生の「やさしい中国語」・陳真先生の「応用 中国語」(1986年)でした。講座を聴き、テストを受けることを重ねていくうちに、 こころはだんだん中国に傾き、97年に退職後北京へ留学しました。北京放送と出会っ ていなかったら、そして日本語部との交流が無かったら留学は実現しなかったでしょう。留学中には「北京の四季」に出演したり、春・秋のピクニックに参加したりと、 日本語部との濃い交流が続きました。

 「篆刻」

 篆刻家の近くに引っ越したのが縁で、篆刻をはじめて40年になります。留学中のカリキュラム「語学研修」で江南への独り旅をしました。上海では、有名な篆刻家・孫慰祖先生と知り合うことができました。帰国(99年)後知り合った宝田歯科医院の院長・宝田恭子先生は篆刻に興味を持っておられました。ただ篆刻のみでは見る人の興味をそそらないから、印文にまつわる奥田さんのコメントをつけたらいいのではないかと提案がありました。そこで漢詩をテーマにした「詩句印」に取り組み、歯科医院の待合室や、やはり知り合いの書道教室に毎月新作を展示してきました。今回の二十点はその中から選んだものです。

 昨年10月、日本語部を訪れたとき、プレゼントの提案をしたところいいアイディアだと、展示のスペースまで用意していただけることになりました。この上もない光栄です。

 放送を聴き始めてからの二十数年、日本語部と日本語部の皆さんから戴いた恩恵は計り知れません。その大きな一つは若さと健康です。くよくよ思いがちですぐに癇癪を起こしていた僕が、十数年ぶりに会った口の悪い元同僚から「昔より若くなって顔色が見違えるようだし、表情が実に豊かだ」といわれました。それは日本語部のみなさんと付き合っているうちに自分でも驚くほど楽観的になったからではないかと思います。

 数え切れない中からもうひとつ挙げるとすれば、それは国際放送局の顔です。いままで日本語部の方の「導游」で訪れた各地放送局の方々は、いまでも電話一本ですぐに会ってくださいます。そして「老朋友」です。ニーハオ、シエシエ、サイチェンしか知らなくても。

 放送関係だけではなく実に多くの友を得ました。僕ひとりでこれだけの友好の輪は広がりません。国際放送局の看板のおかげだと思います。

 時代不同了。メディアの変化は放送を聴き始めたときとは様変わりです。でも、放送がネットに取って代わられることはないでしょう。今後のラジオ放送に期待すると同時に、なにかお役に立てればと思っています。

                          黄石 奥田正彦

 ここをクリックすると、篆刻作品が見られます>>

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