クレジットカードの普及にIT技術を生かす起業家・北京尚諾科技有限公司/塗志雲取締役会長
北京西北部の中関村。今や中国の「シリコン・バレー」として知られていますが、1980年代まではここはひっそりとした無名の町でした。1988年、中国初の国家レベルのハイテク・サイエンス・パークがここに設立され、それ以来、20年近い月日が過ぎ去りました。今日の中関村は、数多くの海外帰国組を引きつけており、彼らはここを起業の場とし、中国での事業展開に情熱を燃やしています。
今日は、そんな中の一人、塗志雲さんにお話を伺いました。塗さんは北京尚諾科技有限公司の取締役会長で、クレジットに関する情報を配信するポータルサイト「51credit」の会長でもあります。
会長室に入ってみれば、広さは約20平米で、机一つ、本棚一つと一人用のソファ二つが置かれている、とくに変哲のないオフィスでした。ただ、細かいところでは、たとえば、壁にはかけてあったピカソの名作『ゲルニカ』や、八歳のお嬢さんの描いた水彩画などからは、塗さんの個性がにじみ出ています。「芸術作品は自分に情熱と楽しさをもたらすことができる。会社を興すことと相通じるものがある」、と塗さんはにっこり笑いました。
36歳。1993年、アメリカのカリフォルニア大学バークレー校を卒業。教師になろうと思って、スタンフォード大学の博士課程の試験を受けました。これをキッカケに、彼のその後の人生が変わった、と塗さんは振り返ります。
「スタンフォードでは、どの人も起業やイノベーションの話題に夢中になっていました。食事の時にさえ、熱心に議論していました。そのような雰囲気が私の心を強く揺さぶりました。」
自分も起業家になりたいという一途な思いで、塗さんはその後、学業を中断して、アメリカのネット・マーケティング会社・Digital Impactに入社し、電子マーケティングという新たな分野を立ち上げました。その時の体験は今でも、塗さんにとって、忘れられないようです。
「昼夜の区別もなく、一生懸命に働きました。自分の思いを実現することができると考えれば、とてもわくわくしていました。最も進んだものをビジネスに応用できるなんて、想像しても見なかったことだったからです。当時、私たちのやったことが数多くのアメリカ企業の従来のやり方を変えました」。
進んだ科学技術を身につけている上、実践で培った豊富な経験もあるため、数多くのアメリカのハイテク会社からヘッドハンティングの話がありました。しかし、彼は思い切って帰国する決意をしました。中国こそ自分の活躍の場だと彼は思っていたからです。
「単純な理由でした。アメリカで暮らしていけば、確かに良い生活ができる。しかし、そのような生活はとくに、私と関係はありません。私にとって、自分の国の建設と民族の復興に参加して、そこから達成感を得たい。これに越すものはありません。」
塗さんはまた、「中国は急速に変貌し続けている発展途上国なので、大きなビジネスチャンスが潜んでいる」と考え、とりわけ、彼の専門分野である銀行サービスのマーケティング分野は、当時の中国にとって空白だったことと、中国政府が国有企業の制度改革や銀行業の改革を積極的に推し進めていることが、自分の事業展開により広いスペースを与えてくれたと語っています。
2001年に帰国した塗さんは翌年、中関村で、中国初の銀行向け消費貸付??管理コンサルティング会社を立ち上げました。しかし、10年近く中国を離れていたため、塗さんは中国の現状を十分に知っていないことを痛感しました。そのため、2003年、彼は一人で南の広東に行き、中国農業銀行広東支店と提携して、中古住宅リスク管理のコンサルティング・プロジェクトを立ち上げました。この体験で、彼は国有銀行の現状を知っただけでなく、ビジネスチャンスも見つかったと言います。
「中国銀行業界はその頃から大きな転換期に入りました。2003年頃、数多くの国有銀行が相次いでクレジットカード発行のサービスに乗り出しましたが、銀行にマーケティングの知識が不足していました。それまで一般貯金をメイン業務にしていた中国の銀行は、今後は顧客に一対一の金融サービスを提供していく銀行に変貌しなければなりません。しかし、当時の銀行には、顧客のデータベースさえなかったため、ダイレクトメールや電話セールスなど、海外でよく用いられるマーケティング手法は中国で利用されていませんでした。そういうわけで、銀行のマーケティングの分野で大きなニーズがありました。」
2004年、塗さんは二度目の起業に挑みました。今回は、銀行と提携して、クレジットカードのマーケティングを代理する会社でした。会社を立ち上げる前に、塗さんは中国が外国と違う点に気がつきました。世界中のどの国を見ても、まずクレジットカードが普及してから、インターネット社会に移行しましたが、中国だけは順番が異なり、インターネットは普及したものの、クレジットカードの所有率はまだまだ低かったのです。インターネットのユーザー数は1億4000万に達していたのに対し、クレジットカードの発行枚数はわずか1000万枚に過ぎませんでした。
こうした情況を背景に、2005年、塗志雲さんは銀行向けに、インターネットをベースにしたトータルマーケティングのプラットホームとして、「5151credit」(中国語の発音では、「私はカードが好きだ」になる)サイトを立ち上げました。このサイトでは、消費者にクレジットカードを紹介し、カードに関する一連のサービスを提供しています。中でも、ありとあらゆる銀行の発行したクレジットカードの資料と特典情報を配信できる点が、大きな強みと言えます。現在、51creditは中国の四大国有銀行と契約を結んでおり、サイトを通して、銀行にブランド商品の宣伝と市場マーケティングのサービスを提供しています。今や、一日のヒット数は十万人を超え、平均すれば、一日あたり1000人あまりがサイトを通して、クレジットカードへの加入を申し込んでいます。
一方、会社の順調な発展に従い、塗会長は従業員へのインセンティブ・システムとして、株式のストックオプションを導入しました。これにより、起業に参加した100人のコアメンバーが会社の株式を保有することができました。まだ20代のプロダクツ・マネージャー・李寧さんはこうして、2万株のオーナーとなりました。
「私は去年、入社したばかりの新人です。入社わずか2ヶ月で、ストックオプションにより株を保有しました。今、仕事が忙しくて、プレッシャーも大きいですが、とてもやりがいを感じています。」
塗さんは、すべての従業員に彼と同じような起業の情熱をもち、企業の醍醐味を味わい、起業を通して、人生の価値を実現してほしいと語っています。
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