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老子に教えられた成功の道

2015-06-23 18:56:28     cri    
























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 「古典エナジー」、前回は、「老子を知ろう」というタイトルで、老子の生い立ちなどをご紹介しました。今回は「老子に教えられた成功の道」をテーマにしたいと思います。

 成功、出世というものは誰でも望むことですね。もちろん、人によって成功や出世というものの理解が異なりますが、人生にとって永遠のテーマだということは、間違いないでしょう。清の時代の学者、魏源は老子の「道徳経」を解説する本を書いたことがあります。「道徳経」は「救世の書」と称えました。「救世の書」、つまり世界を救う本という事ですから、角度を変えて見ると、人々の成功を指導してくれる本でもありますね。

ぼんやりとした成功の道

 成功するためには、まず、成功に至る道を探さなければなりませんね。昔なら男性にとっては職業、女性にとっては、結婚などでしょうか。どちらも真剣に考えるべきことです。楽しく人生を生きられるかどうかを決める重要な要素ですね。この人生の道というのは、老子に言わせると、哲学的な「道」になります。「道はぼんやりしたものですが、実物がある。深くて暗いものですが、その中には精神がある。その精神というものは真実のもので、ルールがある。」これはなかなか分かりにくいんですが、成功の道を例えるなら、その道はぼんやりとしていて、かすかに見え、とても探にくいですけれど、確かに存在しているという意味ですね。

 では、成功の道って、何故ぼんやりとしているって言うんでしょうか?それは、人生の道が複雑すぎるからです。才能がある人でも、チャンスを掴めなければ、成功への道にたどり着くことはできません。

 1932年に、ノーベル物理学賞の受賞者、ハイゼンベルク氏に関する有名な話です。有名な物理学者、ボーア氏との散歩は、人生で最も重要なものであり、運命と成功を決めた散歩だと言っています。「私にとって、本当の科学者の道がこの時始まった」と述べました。その時のハイゼンベルク氏はまだ20歳で、大学2年生でしたね。たまたまボーア教授の講演を聞きました。ちなみに、ボーア教授は1922年のノーベル物理学賞を受賞しています。このような偉大な科学者に対して、大学生だったハイゼンベルク氏は臆することなく、厳しい質問をしました。講演の後、ボーア教授はハイゼンベルクのところにやってきて、散歩しながら話をしようと誘いました。この散歩の時の二人の会話は当時の原子理論の哲学的問題に及んだということです。ハイゼンベルク氏の成功にとって、ボーア教授は大切な道しるべとなったわけです。

 こんなぼんやりとした成功への道を歩む中で、たまにしかひらめかないインスピレーションをどうやって掴むのでしょうか?これについても、老子はヒントを与えてくれています。「懐が深く、すばらしい人間性の持ち主は、道に従う」と言います。すなわち、「道」を探すためには、まず、自分の倫理・モラルを高めるべきという意味ですね。だからこそ、老子の著作は「道徳経」というんですね。

有為(うい)と無為

 ご存知の通り、老子は常に「無為自然」を出張しています。例えば、「道常無為而無不為」。道は常に無為にして、而(しか)も為さざるは為し。これは現代語に訳しますと、「道」は自分からとくに何かをする訳では無いが、「道」によって成し遂げられない事は無いという意味です。 この「無為」というのは、実は成功の道にたどり着くすばらしい知恵なのです。

 これについて、老子は日常生活の例をあげたことがありますよね。馬車には二つの車輪があって、車輪の真ん中は空っぽで、「無為」なのです。でも、空っぽだからこそ、車軸を差し入れることができ、人や荷物を載せるようになります。こうして、車は「有為」になります。

 更にイギリスの生化学者であり、中国の研究家としても名高いジョセフ・ニーダム氏は、無為を「自然に反する行為を慎むこと」と定義しました。「無為とは何もしないで黙っていることではありません。万事を自然のままに任せ、その本性を満たすことです。」としています。

 もし、このように「無為」を理解してもらえば、人々の成功にとって、大きな指導的な役割があるのでしょう。例えば、生態環境の保護に当たっては、「無為」と「有為」のバランスをうまくとって、自然の「道」に従って行うべきです。そうしなければ、生態のバランスを壊し、洪水や砂嵐など自然からのしっぺ返しを受けることになります。

 中国の有名な数学者であり、20世紀を代表する幾何学者陳省身(ちんしょうしん)先生は、2004年、93歳で亡くなりました。この方も、「有為」と「無為」の関係をうまく処理した成功者です。陳先生は「一生、数学ということしかやらなかった」と話したことがあります。「スポーツでは、男子生徒ばかりか、女子生徒にも勝てないから、スポーツは無理だ。音楽と言えば、どの曲がいいか、どの曲が悪いのか、全然聞き分けることができない。結局、選びに選んだ結果、数学しかできることがない」と語りました。また、記者に数学での成功のコツを聞かれた時、陳先生はこのように答えましたね。「幾何が面白いから。時間が長くなると、慣れてきて、成果も出る」と語りました。

 子供のような純粋な心で、遊び心で科学研究を進めているわけですね。苦しいこととは思わず、常に好奇心と情熱に満ち溢れ、仕事を楽しむことができます。子供たちの勉強もこのようになるといいですね。

大器晩成

 ところで、前回も「大器晩成」という老子の言葉について説明しました。「鐘や鼎(かなえ)のような大きな器は簡単には出来上がらない。 人も、大人物は才能の表れるのはおそいが、徐々に大成するものである。」という意味を表します。これはなかなか奥深い言葉ですね。「大器」を人生に例えるなら、大きな事業は時間をかけてしっかりと練りに練ったものという事になりますね。

 一方で、現在、人々は「大器晩成」というのはすでに時代遅れで、テンポの速い現代社会にとっては、「できるだけ早く一躍有名になる」ことのほうが、夢となっているようです。例えば、スポーツ選手の場合、年取ると、オリンピックのチャンピオンになれないでしょうし、最近は20歳から40歳の若さで大成功を収めた科学者もいますよね。確かにそのような例がたくさんあります。

 今日のような競争化社会では、「大器晩成」ではなく、「大器早成」で自分を励ますことも多いと思います。でも、老子はこれを分からなかったはずがないと思います。このような人間の心理、欲望を知っているからこそ、「急がないで、一歩一歩しっかりと足を踏み、努力を続ければ、おのずと成功する」、「命という大きな器をゆっくり完成させるものだ」と戒めていると思います。

 昔から年若くて、才能があると評価される天才が大勢いましたが、意外に成功できなかった例も少なくありません。その内の一部は天才なのでちやほやされて、自分もだんだんそれに溺れてしまい、結局だめになったと言うのもありますよね。「大器晩成」という言葉をよく自分に言い聞かせたらよかったかもしれませんね。

功を立てて身を引く

 さて、一生懸命努力してようやく成功しました。その後は何をすればと言いますと、身を引くということなんです。「功を立てて身を引く」というのが、老子の成功術のもう一つのポイントです。「道徳経」第9章では、老子は、「功遂げ身退(しりぞ)くは、天の道なり」。つまり、功を遂げたら身を引くのが正しい生き方であると、私たちに教えてくれました。

 これは自然界のルールにも合致しますよね。植物は花が咲いて、実を結ぶ。だんだんと枯れてしまいます。人間は誰でも財産や権利が好きですが、結局こういったものは長く守れないのです。歴史にはいろんな例があります。

 中国春秋時代の越の国で、范蠡(はんれい)という政治家がいました。範レイと言うとピンと来ないと思いますが、中国四大美人の西施(せいし)と言えば、みなさん、ご存知ですね。敵国だった呉の君主を堕落させるために、絶世の美女西施を密かに送り込んだのは、この范蠡でした。越王勾践に仕え、勾践を春秋時代の覇王に数えられるまでに押し上げた最大の功労者でした。こんな范蠡なのですが、王の勾践について、苦難を共にできても、歓楽はともにできないと思い、ひそかに越を脱出しました。斉で名前を変えて商売を行い、巨万の富を得ました。范蠡の名を聞いた斉は范蠡を宰相にしたいと迎えに来ましたが、范蠡は名が上がり過ぎるのは不幸の元だと財産を全て他人に分け与えて去っていきました。 斉を去った范蠡は、定陶(山東省陶県)に移りました。ここでも商売で大成功しました。老いてからは子供に店を譲って悠々自適の暮らしを送ったと言います。

 これは、功を立ててから身を引いた典型的な人物ですね。もう一人は、漢王朝創立期に活躍した功臣、張良です。張良も功績を挙げた後に、見事に身を引いた人です。そして、逆に悪い見本と言えば、同じく漢王朝の創立に大きな功績を遂げた韓信が挙げられます。劉邦に疑われ、とうとう反乱を起こしましたが、失敗して一族皆、殺されました。司馬遷は「史記」の中で、韓信について、このように語っています。「もし、韓信が道理を学び、謙虚で自分の功績を誇らず、自らの才能に奢らなければ、ほぼ理想的な人であったと言える。漢を建国した劉氏に対する功績を考えれば、周の時代の功臣周公・召公・太公などと同列に扱われ、後世まで韓信は祭られてお供え物を受けられたはずであったのだが・・・。しかし、韓信はこれらの努力をせず、天下が定まってから反逆を企てた。一族皆殺しになったのも仕方が無いのではないか。」と。

 本当に悲劇的なヒーローですね。もちろん、「身を引く」というのは、山奥や森など、辺鄙なところで暮らすということではありません。大きな功を立てても、自慢しない、自己満足しないことも、一種の「身の引き方」だと思いますね。そうすると、他の人はやっぱり昔の実績を覚えていて、尊敬してくれますね。

 以上、「老子に教えられた成功の道」でした。まず、「ぼんやりとした成功の道」をなんとかして見出して、「有為と無為」やるべきことをしっかりと決めて、焦らずに地道に努力すれば、必ずいつか成功できます。そして、「功を立てて身を引く」ことを忘れないでください。それは、自然の「道」に順応した生き方です。

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