「古典エナジー」、今月は、清の時代の怪異小説集、「聊斎志異」に載った話を紹介しています。怪談を聞いて涼しくなってもらおうと言うことで、前回は、ぞっとする話し、「画皮」を紹介しました。いかがでしたか?
今回では、怖くない話、狐が美人に化けて、恩返しをした話、「小翠」をご紹介します。「小翠」は、狐美人の名前です。
<小翠>
(田中貢太郎の訳文を元に編集・整理)
昔、中国の南の方に、王太常(おうたいじょう)という人がいました。まだ小さかった頃のある日の昼、ベッドで寝ていた時、空が曇って暗くなり、大きな雷が鳴りだしました。この時に、一匹の狐が部屋に入って来て、ベッドの下に隠れました。暫く立って雨がやみました。そして、ベッドの下にいた狐はすぐ出ていきました。
数年後、王太常は科挙試験に合格し、侍御(じぎょ)という官職に昇進しました。そして、王は結婚し、元豊(げんぽう)という子供を授かりました。
でも、この子はひどい馬鹿で、十六歳になっても、自分が男なのか女なのかも分からないぐらいでした。地元では王の家と縁組しようとする者は、いませんでした。王はとても悩んでいました。ちょうどその時、一人の女が少女をつれて王の家を訪ね、その少女を元豊の妻にしてくれといいました。少女は仙女のようにとても美しいのです。王太常夫妻は喜んで名前を訊きました。女は自分達の苗字は虞、少女の名前は小翠で、年齢は十六歳だといいました。
王夫妻は一軒の家を建ててやり、元豊と小翠を結婚させました。親戚の者は王の家で、貧乏人の子供を拾って来て嫁にするということを聞き、皆で笑いものにしました。しかし、小翠の美しい姿を見て皆、驚き、もうだれも何も言わなくなりました。
小翠は美しい上にとても利口でした。王夫妻も小翠を可愛がりました。でも、こんなにいい嫁が馬鹿息子に愛想を尽かさないか心配しました。しかし、小翠はよく笑い、元豊を嫌うようなことはありませんでした。
小翠はいたずらやゲームが大好きで、毬(まり)を作って、元豊や下女たちと一緒に蹴りました。蹴りだした毬を元豊に拾わせました。ある日、王がちょうどそこを通りかかりました。毬がぽんと音を立てて飛んで来て、いきなり王の顔に当たりました。元豊はそれでもまだ走ってきてその毬を拾おうとしました。王はひどく怒りました。そして、息子に石を投げつけました。元豊は地面に伏せて大声で泣き出しました。
王はそのことを夫人に告げました。夫人は小翠の部屋にいって小翠を責めました。でも、小翠はただ首を垂れて笑っているのです。いたずらは続きます。ある時は、元豊の顔に紅やおしろいを塗ったり。夫人はそれを見て、ひどく怒って、小翠を呼びつけて口ぎたなく叱りました。小翠は机に寄りかかりながら帯を弄って、平気な顔でビクビクもしなければ、何かを言うわけでもありません。夫人はどうすることもできないので、元豊を杖で叩きました。元豊は大声をあげて啼き叫びました。すると小翠は始めて顔色を変えて膝を折ってあやまりました。
同じ街に王という同じ苗字の人がほかにもいました。給諌(きゅうかん)の職についています。王侍御の家にとても近いのですが、初めから仲が悪かったのです。官僚の業績は三年毎に評価されます。ちょうどその時、王給諌は王侍御が河南道を監督していることを忌みきらって、中傷しようとしました。王侍御は、その企てを知ってひどく心配しました。しかし、どうすることもできません。ある日の夜、小翠は宰相に扮装し馬に乗り家を出て、声色を変えて言いました。
馬を進めて王給諌の家の門の前で「王先生にお目にかかろう。」いいました。
言うなり、そこで鞭をあげて従者を敲いて言いました。
「わしは王侍御に会いたいのじゃ、王給諌に逢うのじゃない。あっちへいけ。」
そこで馬を回して帰りました。そして王侍御の家の門へ来ました。門番は本当の宰相と思ったので、走っていって王侍御に知らせました。すでに寝ていた王侍御は急いで起きて迎えに出てみると、小翠だったので、ひどく怒って夫人にいいました。
夫人は怒って小翠の部屋へ駆け込み罵りました。小翠はただヘラヘラと笑うだけで弁解しようともしませんでした。
その当時、宰相の権力は非常に大きかったのです。小翠の扮装は、そっくりで、王給諌も小翠を真の宰相だと思いました。そこで、度々王侍御の家へ人をやって様子をみました。しかし、夜中になっても宰相が帰えっていく気配はなかったのです。王給諌は、宰相と王侍御とが何かを
企てているのではと不安になり、翌日の朝、王侍御に逢って聞きました。
「昨夜宰相があなたの所へいったのですか。」
王侍御は王給諌がいよいよ自分を中傷しようとしていると思ったので、はっきりと返事をしませんでした。王給諌の方では王侍御が言葉を濁したのは、宰相が行って何か企てているのが真実なのだと確信し、王侍御を糾弾してはかえって危ないと思い、とうとう糾弾することを止めました。そして、王侍御に交際を求めていくようになりました。
その後、何度も小翠のいたずらで、王侍御一家は窮地に立ったり、また救われたこともあります。それから間もなく王侍御はさらに昇進しました。年はもう五十あまりになっていましたが、まだ孫がいないことを大変憂えていました。小翠は元豊と結婚して三年経ちましたが、夜は別々に寝ていました。夫人は元豊のベッドをとりあげて、小翠のベッドに同寝(ともね)させました。
ある日、小翠は部屋でお風呂に入りました。元豊がそれを見て一緒に入ろうとしました。小翠はそれを笑って止め、その後、甕(かめ)に熱い湯を入れて、元豊の服を脱がせ、甕の中に入れました。元豊は湯気に蒸されて苦悶しながら大声を出しました。小翠は元豊を熱湯の入った甕から出さないばかりか布団を持って来て、その頭に被せました。
間もなく元豊は何もいわなくなりました。布団をとって見るともう死んでいました。小翠は何事も無かったかのように、笑いながら元豊の屍を曳きあげて床の上に置き、体をすっかり拭いて乾かし、布団をかけました。夫人は元豊の死んだことを聞いて、泣きさけびながら入って来て罵りました。
「気が狂ったのか、なぜ私の子供を殺した。」
小翠は笑っていいました。
「こんな馬鹿な子供は、いない方がいいじゃありませんか。」
夫人はますます怒って、自分の頭を小翠の顔にくっつけました。そうしているうちに元豊はかすかに息を吹き返したのです。そして、家の人をじっと見て、こう言いました。
「私は、これまでのことを思うと、すべて夢のようです。どうしたのでしょう。」 健常者になった元豊と小翠はとても仲のいい夫婦になりました。
一年あまりして、小翠はうっかり、玉の瓶を落として割ってしまいました。王はちょうど仕事が首になって不平不満でいっぱいでしたから、怒って口を尖らして罵りました。小翠も怒って元豊の所へいって話しました。
「瓶(かめ)ひとつ以上、私があなたの家を救ってきたのではありませんか。なぜ少しは私の顔もたててくれないのです。私は、今、あなたに真のことをいいます。私は人間ではありません。私の母が長い時間、激しい雷に遭って、あなたのお父様の御恩を受けました。また私とあなたは、五年の夙分(しゅうぶん、夫婦の縁)がありましたから、母が私をよこして、御恩返しをしたのです。もう私達の借りは返しました。私がこれまで罵られ、はずかしめられても、出ていかなかったのは、五年間という夫婦の縁がまだ残っていたからです。でも、こうなっては、もう少しもここにいることはできません。」
小翠はつんとして出ていきました。元豊は驚いて追いかけましたが、もう姿は見えなくなっていました。元豊は悲しくて、泣き叫んで死のうとまで思いました。彼は日に日に痩せていきました。王はひどく心配して、あわてて後妻を迎えてその悲しみを忘れさせようとしましたが、元豊はどうしても忘れられなかったのです。
二年くらいの月日が過ぎました。元豊はたまたま出かけたとき、小翠と偶然会ったのです。元豊は小翠を伴れて帰ろうとしましたが、小翠は同意しません。 分かれて一年あまり経って、小翠の容貌や声がだんだん本来の姿に戻ってきました。小翠はもう年で、子供を生めない体なので、元豊に女性を紹介しました。
元豊はその話を聞き、また結婚しました。その結婚式が近くなった頃、小翠は新婦のために衣装から履物までこしらえて送りました。新婦が元豊の家の門を入って来ました。すると、その容姿や、言葉遣いから、仕草まで、小翠にそっくりで、いえ、小翠と瓜二つ、すこしもかわらなかったのです。元豊はひどく不思議に思って、小翠が住む場所を尋ねました。でも、小翠はいつも身につけていた玉を一枚残してもうどこへか行ってしまいました。
元豊はすこしの間も小翠を忘れることはできませんでした。でも、幸いに小翠そっくりの新婦の顔を見ると、小翠を見ているようで心が慰められました。そこで、元豊は始めて知りました。小翠は元豊が後妻と結婚することをあらかじめ知っていて、先ず自分がその後妻と同じ姿になり、自分がいなくなっても、後妻が自分と過ごしていた日々の代わりになってくれるということを。
私にはこの話は聞いたあと、小翠がすごくかわいそうに思って、あまりすっきりしません。リスナーの皆さんはいかがでしょうか。いつも無邪気に笑っている小翠が、なんで母のために恩返しをし、馬鹿な男と暮らして、その病気を治して、さらに、王侍御一家の危機も何度か救ったのに、理解されず、いつも罵倒されていたのでしょうか。
最もひどいのは、最後に、自分が徐々に容貌を変え、最愛の男も他の女に譲ってしまったってことです。しかも、その可愛い容姿も、もともと自分の本来の姿ではないということですよね。元豊とその後妻のために、6,7年を過ごしたことになるんですね。
これこそ、極端なエゴイズムで、昔の中国の男性の思想だと思います。そもそも、「聊斎志異」など中国の怪奇小説に出た女性人物像は、恐ろしい画皮の美女よりは、小翠のような尽くした女性の方がポピュラーです。男性が望む時にやってきて、迷惑な時にいさぎよく去ってしまう、こんな便利で尽くす女性が、まあ、男性にとっては一番いいんでしょうね。
怪奇小説で、男女関係によく使われる言葉の一つに、「夙分(しゅうぶん)」と言うのがあります。日本語に訳しますと、前世からの縁でしょうか。「前世の縁であなたと会い、結ばれる」。そして、去る時も、「私たち二人の縁はもう切れた。探しても無駄だよ」と言います。命が無限の仙人や妖精、妖怪だからこそ、何も俗世間のルールに囚われずに、普通の人にとってやってはいけないことやできないこととか、禁断の恋などすることができるのかもしれません。
昔、儒教の倫理に束縛された中国の上流社会の女性は、おそらく色っぽさがちょっと足りないじゃないかなって思います。男性と女性は結婚する前に会ったことがなく、媒酌で成り立った結婚ですから、結婚後の生活にもときめきが少ないんです。ですから、受験のために、日々書斎に閉じこもる文人が、禁断でも自由恋愛ができて、愛でも恨みでもはっきりというような異性に惹かれるのも理解できます。
© China Radio International.CRI. All Rights Reserved. 16A Shijingshan Road, Beijing, China. 100040 |