北京
PM2.577
23/19
日曜日に幕を閉じた東京五輪。中国メディアでも「オリンピックの新しいモットー“ともに”を表した大会」「コロナが続く中、人類の団結の重要性を改めて気づかせてくれた大会」「シャトルバスの手配や選手村の消毒、拾得物の取り扱いなどたくさんの細かいことを日本人らしくまじめに礼儀正しく行ってきた7万人余りのボランティアに支えられてきた大会」などの視点から、たくさんの記事が出されています。
今日の番組では、中国メディアの伝え方も含め、東京五輪について王小燕、斉鵬両アナが印象に残った思い出と共に、ソフトボール中国代表元監督の李敏寛さんに伺った話と共にお伝えします。
李敏寛監督近況写真
李さんは大阪生まれ。1953年8月、もうすぐ16歳になる年に、中日の間を行き来していた引き上げ船「興安丸」で新中国に帰国。大阪にいた頃は、 日本では高校野球発祥の地として知られる豊中高校(1915年に第1回大会)に通っていました。北京の大学では鉱山機械を専攻。在学中に、華僑らでできる野球チームのメンバーになり、全国運動大会に出場した経験がありましたが、卒業後はエンジニアの職に就いていました。1975年に北京市で野球・ソフトボールチームが結成された時にソフトボールチームのヘッドコーチに就任。1979年に中国代表チームの結成と共に代表監督に。1996年のアトランタ五輪では中国代表を率いて銀メダルを獲得。
▼ラジオ観察眼:「ともに」いるからこそ人類は前進できる
▼オリンピックスペシャル:東京五輪の印象に残った場面
▼ソフトボール中国代表元監督・李敏寛さんの目に映った東京五輪
【北京スケッチ】公園の風景(平文智撮影)
<お便りありがとう!>
★名古屋市のゲンさん
10代の選手たちが1日10時間も練習して努力を重ねているという話を聞いて「私も1日10時間掃除をすれば、家の中はどんなにきれいになるだろう」と一瞬思いたちましたが、私はせいぜい1、2時間でクタバッテしまうでしょう。「努力は人を裏切らない」という言葉も忘れる自信、満々です。スポーツ選手たちは美しいですね。
中国メディアの日本関連報道もぜひ聞いてみたいと思っていたことでした。選手の名前の「一二三」が話題になったと知って、こっちがびっくり。日本では将棋界で、『ひふみん』という愛称で有名な、加藤一二三さんがいます。77歳で引退するまで数々の驚異的な記録を樹立しました。1973年に九段となった時には、『加藤一二三九段』と呼ばれたこともあったそうです。
王洋さんのインタビューで、ボスニア・ヘルツェゴビナのサラエヴォの話題が出ました。オリンピック後のことは、確かに気になります。日本も無観客、感染予防対策など、今は夢中で無事の終了を祈っているだけですが、その後には、途方もない赤字が残ったという伝説を生むかもしれません。本当に歴史に残る「困難なオリンピック」だと思っています。
★宮崎県のD.Dさん
小燕選手、斉鵬選手、今日は!今週も東京五輪スペシャル・ざっくばらんトークを大変楽しく聴いています。
斉鵬さん注目の、蘇選手の100mアジア新記録は、日本メディアでも彼のコメント(このスタジアムを一生忘れない)と共に報じられましたね。次の男子400mリレーも見逃せません。小燕さんのトークの五輪選手を通じて色んな人生模様や中日友好、変わった名前まで多彩なエピソードが楽しいですね。1日10時間練習とか、30代はもとより40、50代で五輪出場の話など聴くと、私も暑さに負けず頑張ろうという気持ちになって来ます。また斉鵬さん王洋さんのCRIインタビューも良かったですね。
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