新型コロナとの戦い~マスクを届ける楊熹さんの物語(下)

2020-06-23 17:47  CRI

  

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 先週も紹介しましたが、楊さんは1970年に浙江省温州生まれ。大学卒業後、改革開放の波に乗り、世界を相手に貿易の仕事を経て、現在は上海を拠点に投資会社を経営しています。この1月末、中国国内で新型コロナウイルスの感染が急激に拡大し、深刻なマスク不足になった中、楊さんは1月から5月末まで、私財をはたいて世界各地と中国国内から購入したマスクを国内外で配布しました。その数は20万枚を超えていました。マスクを寄贈したことに寄せた思いをうかがいました。

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マスクの仕分け作業をずっと見守ってくれた楊さん宅の猫(写真提供:楊熹)

■お腹がすいた時の一杯のご飯 他人を助けることは自身を助ける
 2月18日、海外からまとまった数のマスクを入手した楊さんは、すぐに防護服を付け、武漢や黄岡など湖北省内の感染者が急増した町、そして、ふるさとの温州に発送しました。自身と家族たちにもかなりの数をとっておきましたが、その使い方は決して自己使用だけではありませんでした。
 「私も娘も出かける時には必ずマスクを持参して、宅配便のお兄さん、団地の掃除係の方、守衛さん、汚れたマスクを着けている人を見れば、その場で配布していました」
楊さんは自分の人間形成に強く影響を与えたのは、仏教徒の祖父母だったと話します。戦乱や飢餓を体験してきた祖父母からは、「近くにお腹がすいている人がいれば、ごはん一杯恵んであげれば、命を救うことができる」と良く聞かされました。
 「さすがに飢え死にする人はいなくなったが、ウイルスを前に、マスクがなくて困っている人がいます。そのような人たちにマスクを差し上げるのは、祖父母が言う一杯のごはんと同じなのです。それに、私がやっていることは自分の子どもにとっても一つの参考になり得ます。災難を前に、人間は助け合うべきことを娘にも知ってほしい。とりわけ、自分たちは上海にいて、まずまずの暮らしをしているので、こういうことは当然やるべきことだと思っています」
 マスクを会う人ごとに渡していた楊さんは、「一人ひとりがウイルスを防ぐ上でのガードラインなので、そのガードがもっと強くなれるように」という気持ちしかありませんでした。彼女にとって、「他人を助けることは、自らを助けることになる」からです。

■中国からの恩返しのマスク、善意のリレーで届く
 「今思えば、武漢や国内支援の延長線上で、自然に海外にマスクを送るようになった」と楊さんは振り返ります。何故なら、「海外の感染状況が収まれば、中国が初めて影響を受けずに済む」と思ったからです。
スピード感をもって確実に相手国に届けるために、楊さんは様々な方法を考えました。航空便や宅配会社からの郵送もあれば、海外に行く人や自国に戻る外国の知人に託したりする場合も。また、輸送手段で悩む楊さんのことを聞きつけ、自身の持ち込み荷物にして運ぶのを手伝ってくれた機長さんも。楊さんのマスクはこのように、様々な人のやさしさとリレーにより日本や各国に送り届けられていきました。
楊さんはこう明かしました。
 「娘が留学先でお世話になったところはもちろん、私がビジネスでコンタクトを取っていた関係者の全員に、中には不愉快なやり取りがあった相手も含めて、連絡が取れる人には全員マスクを送りました。律儀に返事をくれた人もいれば、何も報せてくれない人もいます。しかし、そんなことはどうでも良いのです。受け取りのサインがあり、役に立てたことこそが大事なのです。これまでに、私も含め、大勢の温州人、中国人が世界を相手にビジネスし、世界からたくさんの恵みをもらいました。今度はお返しをする番です。私の傍には私と同じことを考えて奔走している人が大勢いました」

■親子のコラボで届ける日本への恩返し

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楊さん(右)と一人娘の嘉宝さん(写真提供:楊熹)

 数ある海外への寄贈の中に、真っ先に届けた国は日本でした。
 一人娘の嘉宝さんは小さい時から日本の漫画やアニメが好きで、本人は大学はぜひ日本で留学したいと思っていました。しかし、楊さんは反対しました。
 「日本は近いので、いつでも行ける。まずはもっと広い世界を体験すること」
 結果的に母親の強い押しで、留学先はロンドンになりました。4年ある大学生活の中には、半年間の交換留学があり、待ちきれない嘉宝さんは京都の大学を選びました。
 その京都で起きた、ある日の出来事でした。自転車で通学していた嘉宝さんは転んで、怪我で膝から血を流していたところ、たまたま通りかかった人が看護師で、自宅まで連れていって手当をしてくれたのです。そのエピソードは、楊さん親子が日本の話になると、いつも語り草にしています。
 実は、楊さん自身は日本が大好きな国で、年に何度かは必ず旅します。景色に食べ物に買い物、日本に行けばやりたいことがたくさんあり、各地の中では、古式ゆかしいお寺が林立する京都が、一番好きな町だと言います。
 親子で日本ファンの楊さんは、何陣かに分けて日本にマスクを贈りました。日本に届ける段ボール箱に、嘉宝さんは念入りに選句した漢詩と手描きのイラストを貼りました。

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楊さんから日本に届けるマスクの一部(写真提供:楊熹)
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段ボール箱に貼られた漢詩と嘉宝さんが手描きのイラスト(写真提供:楊熹)

 「九州何處遠 萬里若乘空」(九州 何れの處か遠き、万里 空に乗ずるが若し)

 親子がタッグを組んで届けたこれらのマスクは、東京にいる有志の力添えで、京都や奈良、東京、神奈川など各地の高齢者施設や中国語学校、日中友好団体、企業に送られていきました。
その中の1000枚について、送り先を仲立ちしてくれた日本語月刊誌「人民中国」のアテンドで、オンライン上のちょっとした寄贈式が行われました。折しも届けた日は4月7日、東京を始めとした7都県で緊急事態宣言が発出された日でした。届けたマスクの箱には、「人民中国」社が念入りに用意した和歌と漢詩の訳も追加されていました。

 「援けあい コロナウイルス なんのその 海を隔てつ 心一つに」
 「互助情义真。新冠逞凶何足惧,联手驱瘟神。你我虽隔衣带水,共斗顽疫心连心。」

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4月7日 神奈川新聞社にて行われたネット寄贈式(写真提供:人民中国社)

 和歌は、中国の漢俳の名人、劉徳有氏によるもので、訳は王衆一編集長です。
 楊さんは、日本に届けたマスクは、初期に日本からたくさんの支援物資が送られてきたことへの恩返しであり、京都で赤の他人である娘に優しく接してくれた看護師への御礼でもあると言います。「京都に送ったマスクは、もしかしてその方の手元にも届いているかもね」と、電話の向こうから、楊さんの明るい声が聞こえてきました。

■新型コロナに気づかされる、人類は運命共同体
 6月半ばの上海は、状況がずいぶん落ち着いてきました。インタビューした日は、楊さんは上海駅近くに新たに開店したジュエリーショップを視察していました。楊さんは、「上海はもう普通に渋滞していますよ。渋滞って本当に良いですね」と嬉しそうでした。たった数ヶ月前の痛烈な思い、彼女は忘れていません。
 「新型コロナで痛感したのは、何気ない日常のありがたさです。今も鮮明に覚えています。上海も一時期、外出の自粛で道路から車が消え、そんな道を自分だけが車で通った時、言葉では言えない恐怖を覚えました。また、家に閉じこもって過ごす日が長く続くと、ある時、無性に喫茶店に行きたくなったことを覚えています。『その店のコーヒーをぜひ飲みたい』というよりも、人混みの中で、大勢の知らない人と普通に同じ空間にいたいだけでした。生きていく上に本当に大事なことはなにか。気にすべきこと、気にしなくて良いこと、以前の自分よりも分かってきような気がします」
 新型コロナが自身の心構えにもたらした変化を楊さんは淡々と振り返り、そして、終息後の願いをこう聞かせてくれました。
 「一番やりたいことは、旅行ですね。一番行きたいところは、日本です。京都の看護師さんを訪ね、直接御礼を述べられたらと思っています」
そして、「この数百年あるいは千年に一度のパンデミックを前に、後から思い出すと後悔しないようなことしかしていません。人類は運命共同体。私はこの言葉を信じてやみません」 と力強くインタビューを締めくくりました。

(聞き手&記事:王小燕)

 

<インタビュー前編・お便りの抜粋>

★高知県四万十市・杉村和男さん

 6月16日の「CRIインタビュー」での楊熹さんのお話、日本、イラン、イタリア、セルビア、ハンガリー、ドイツ、イギリスなど、マスク20万枚余りを寄贈したことについて、私財をはたいて、更には「良いことをした時、名前を残さない」はずなのに、名前が出たことに大変申し訳ないとは、頭の下がる思いであり、尊敬の念を抱かざるを得ません。
 コソボ紛争で中国大使館が爆撃され、3人が犠牲になったという悲しい出来事があったことは全く知りませんでした。と言うのも私が学生の頃、地理で習った国名はまだ、ユーゴスラビアでした。その時に親切にしていただいた現地の警察に恩返しとして、あえて送付先を指定したというストーリーも感動的で良かったと思います。

★名古屋・ゲンさん

 6月16日の「CRIインタビュー」を聞いて、浮かんだ諺が「情けは人のためならず」です。謙虚な楊さんの気持ちはまっすぐに伝わってきました。昔、日本の五千円札に載っていた新渡戸稲造(にとべいなぞう)が作った詩の一部分なんですって。「武士道」を貫いて生きるための366の格言集の中の「一日一言」に書かれていて、

 施(ほどこ)せし情は人の為ならず おのがこころの慰めと知れ
 我れ人にかけし恵(めぐみ)は忘れても ひとの恩をば長く忘るな

 自分が他人にした良いことは忘れてもいい。でも、人から良くしてもらったことは絶対に忘れてはいけないよ、ということですね。
 「武士道」を読んだ時の感動が、楊さんという、潔い人柄に通じるものがあって、強さや優しさを併せ持った、なんて素敵な女性かと思いました。特にベオグラードで、侮辱した男たちのグループに、食って掛かった楊さんの純粋さに感動しました。

★東京都大田区・三輪徳尋さん
 上海市民の楊熹さんの言葉に徳は隠すものだと話されていました。とかく「やらない善よりやる偽善」が多くなっているように感じる昨今、「人知れずに良い行いをした人には、天が報を与えてくれる」という陰徳を積むことを大切にしている方の行いには、本当に敬服します。 昔から、「夫有陰德者、必有陽報、有陰行者、必有昭名(淮南子)」「施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない(マタイによる福音書)」など、陰徳を積むことが人として大切な行いであり、隠積徳は子孫まで幸運をもたらすなどと書物にも記され、多くの賢人の教えとして今に伝えられています。しかしながら、善行を自慢したり、傲慢な態度をしたり、善行よって注目された人を嫉妬したり、誰かに認めてもらわないと良い行いをできない人が多いように思います。 「徳尋」名に「徳」を冠していながら、この年齢にもなって十分な陰徳も陽徳すらも積めずにいる自分が人のことなど言えませんが、人として陰徳が積めるのは、それだけの器を持った人でないとかなわないもだろうと思います。

◆ ◆ 

 ウイルスを前に、ガードラインを強く構築しようと奮闘した楊熹さんの物語を2回続けてお送りしてまいりました。新型コロナの世界での感染拡大がまだくい止められていない中、世界各地にまだまだたくさんの人間物語があると思います。リスナーの皆さんからも、ぜひあなたの知っている忘れられない人や出来事をお聞かせいただければと思います。メールアドレスはnihao2180@cri.com.cn、お手紙は【郵便番号100040 中国北京市石景山路甲16号中国国際放送局日本語部】もしくは【〒152-8691 東京都目黒郵便局私書箱78号 中国国際放送局東京支局】までにお願いいたします。

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新型コロナとの戦い~マスクを届ける楊熹さんの物語(上)

 

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