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中華人民共和国建国60周年祝賀式典13

2009-10-01 11:39:32     cri    
 今、やってきたのは2700人余りからなる「天地開闢」というテーマの編隊です。人々は赤のシルクを持ち、新中国の創設者毛沢東の大きな写真を囲み、天安門前に行進してきます。この時、バックの広場には「社会主義はすばらしい」という意味の文字が出てきました。

 中国共産党は、農村を以って都市を包囲し、武力で政権を打ち立てる道を切り開き、毛沢東思想を創立し、中華人民共和国を成立させました。

 60年前の今日、毛沢東は天安門楼閣で、中華人民共和国中央人民政府の成立を世界に宣言しました。

 この編隊の後ろに「毛沢東思想」プラカード編隊が来ました。この編隊は、武装警察の将兵と清華大学一年生からなっていて、3300人近くいます。毛沢東思想はマルクスレーニン主義が中国で創意的に運用され発展したもので、実践を通じて証明された中国の革命と建設の正しい理論原則とその経験のまとめです。毛沢東思想の指針の下に、中国各民族の人々は中華民族が発展していく新しい紀元を切り開いたのです。

 今やってきたのは3300人あまりからなる「奮闘して創業」というテーマの編隊です。人々は花輪を手に、パレードカーを囲んで天安門前に進んでいます。パレードカーには新中国建国以来各時期に選ばれた、人々が模範とすべき労働者の代表20人が乗っています。

 中国人民は空白状態から着手し、様々な困難を乗り越え、成果を挙げていきました。1959年、中国は東北にある大慶で大きな油田を発見しました。これにより、石油不足という歴史に終止符が打たれたのです。1964年には中国初の原爆実験を、1967年には水爆実験を成功させました。そして1968年に南京長江大橋が作られ、1970年には、中国初の人工衛星の打ち上げに成功しました。

 外交の面では、1953年に周恩来首相が世界で初めて平和共存の5原則を打出しており、現在、この原則は世界の大多数の国に受け入れられ、世界の平和と国際的な友好活動を促す上で大きな役割を果たしました。そして1971年、中国は国連での合法的地位を回復し、これはその後の中国の発展にプラスとなる国際環境を作りだしたのです。

 陝西省の安塞から来た1000人余りの農民からなる「腰鼓踊り」披露チームがやってきました。

 「腰鼓踊り」は中国の陝西北部の民間舞踊です。グループになって踊り、その踊りと太鼓の音を通じて黄土高原の男性的な美を示しています。

 安塞は陝西省延安地区北部にあり、昔の軍事的要地です。地元の伝説によりますと、秦と漢の時代に、ここの太鼓は地元に駐屯していた兵士の銃や矢と同じように、不可欠な道具をされていました。つまり、敵がきたら、この太鼓を鳴らして警報を出します。そして同じく太鼓を鳴らして味方を励ますのです。また戦に勝てば太鼓を鳴らして祝うのです。しかし、いまではこの太鼓を鳴らし、神を祈り、豊作を祝い、旧正月を楽しむ踊りとなっているのです。

 1942年、中国革命の聖地である延安や陝西・甘粛・寧夏のそれぞれ地区で新しいヤンゴー踊りが流行りました。このブームにのって安塞の「腰鼓踊り」も流行り、軍隊と人々が勝利や解放を祝うときのシンボルとなり、「勝利の太鼓」と言われたのです。1951年、安塞の「腰鼓踊り」はハンガリーの首都ブダペストで始まった行世界青年学生交歓祭に参加し、特等賞に輝きました。

 民衆による「改革開放」というテーマのパレードがまもなく始まります。

 やってきたのはおよそ3000人からなる「春の物語」というテーマの編隊です。人々は黄色いオウバイの花束を手に、改革開放の総設計士である鄧小平氏の大きな写真を囲み、天安門の前を行進しています。この時、バックの広場では「思想解放」という四文字が出ています。

 鄧小平氏は中国共産党の二世代目の中央指導グループの核心であり、中国の改革開放と現代化建設の総設計士でもあります。1978年12月開かれた、中国共産党第11期中央委員会の第3回会議の席上、鄧小平氏は、思想を解放し、実際に即して問題を処理し、中国の特色のある社会主義を建設するということを打ち出しました。この時から中国は改革開放の新しい時期に入ったのです。また1979年に、鄧小平氏は経済特別区の設置を提唱し、14の沿海都市の開放と上海の浦東新区を開発を指示し、中国の全面的な対外開放を推進させたのです。

 1997年に中国共産党の第15期全国代表大会が開かれ、この大会では、中国の特色のある社会主義を建設するという理論を鄧小平理論としたのです。

 香港、マカオと台湾問題を解決し、国の平和統一を実現させるため、鄧小平氏は中国の国情に見合った「一国二制度」という構想を打ち出し、この構想に基づいて、香港が1997年に、マカオが1999年に祖国に返還されました。

 外交面で、鄧小平氏は平和と発展は今の世界の二つの趨勢だと強調し、独立自主の平和外交政策を打ち出したのです。また彼の主催のもとで、1978年に「中日平和友好条約」が締結され、1979年にはアメリカとの国交樹立を実現しました。そして1989年には、旧ソ連との関係が正常化されました。中国はまた発展途上国との友好関係の発展に力を入れ、新しい外交的情勢をを切り開いたのです。

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