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最後のお粥

2012-03-01 14:33:13     cri    


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 みなさんあけましておめでとうございます。今日は新しい年最初の「中国昔話」の時間です。

 で、この時間は食べ物にまつわるお話を二つご紹介いたしましょう。

 最初はお粥の話です。みなさんは「臘八粥」をご存知でしょうか?中国語で「ラーバーゾウ」と読みます。この「ラー」とは難しい字で、日本ではあまり使われません。「漢和辞典」では日本語で「ロウ」と読み、年末の祭礼のこと、または、僧侶になってからの年数、そして「ロウ月」とは旧暦の12月のことだそうです。そしてこれに「八」と「粥」を書いて「ラーバーゾウ」です。これはお釈迦さまが最後の悟りを開く瞑想に入る前に、お粥を食べて体力を回復したという故事を基にしたものらしいですね、中国では地方によっては僧侶を中心にこの8種の穀物で作った粥を食べる習慣があります。

 また、漢民族には、旧正月「春節」まえ旧暦の12月8日にこの「ラーバーゾウ」を作って食べます。この三文字の中の「八」とは八種類の穀物などのことで、ところによって入れるものは違いますが、一般には米、粟、小豆、大豆、ピーナツ、ナツメ、マメ、胡桃などです。

 で、このお粥にまつわるお話ですが、お釈迦さまにはここでは遠慮してもらい、民間に伝わるものを一つご紹介しましょう。

 題して「最後のお粥」です。

 むかし、ある家にじいさん、ばあさんと一人の息子が住んでいた。じいさんは働き者で、朝早くから野良仕事にいそしみ、、ばあさんは起きるとすぐに家の中や庭で休む暇もなく働いていた。そしてじいさんは昼前に帰り、急いで飯をかきこみ、また畑に行く。ばあさんは、昼過ぎから家で機(はた)を織り、町でいくらかの金に換えていたのだ。しかし、一人息子は毎朝寝坊し、ぶらぶらしているばかり。というのは爺さんたち二人には四十を過ぎてからこの息子ができたので、かなり甘やかしてきた。で、じいさんとばあさんのおかげで、この家の蓄えも増え、暮らしは豊かになってきた。これに隣近所はうらやましがるばかり。

 こうして息子は二十歳を過ぎた。しかし、息子はなおも働かない。これを見て隣近所は「どら息子はいつかは苦しむ」と陰口を言うようになったが、これを耳にした息子は、「おいらには働き者の両親が居るんだ。余計なお世話だ」と知らん顔をし、じいさんとばあさんも眉をひそめながらも、そのうちに息子は働くだろうと思っていた。

 さて、月日が流れ、じいさんとばあさんもかなりの歳になった。が、息子は相変わらず、遊んで暮らしている。

 と、ある日、畑から帰ったじいさんが、胸が痛いと飯も食わずに寝込んでしまった。そして病はだんだんひどくなり、やがてじいさんは死んだ。じいさんは死ぬ前に息子を呼び、働かなければ、食っていけないので働いて、この家を守るよう言い聞かせた。が、息子は父が死んでも毎日ぶらぶらしているだけだった。それから半年たち、息子は嫁をもらった。しかし、このこの嫁も息子と同じぐうたらで、姑の手伝いをしないどころか、夫と一緒に毎日遊んでばかりいた。隣近所はこの嫁のことを無駄飯食いと呼んだ。

 一方、息子の母親であるおとなしいばあさんは、疲れがたまって床に伏してしまった。そして次の日、ばあさんは嫁を床に呼び、働かなければいつかは大変なめにあうと言い聞かせたあと、なんと息を引き取ってしまったわい。

 息子、母親が亡くなったのでかなり悲しんだが、それでも働こうとはせず、両親がかなり食っていけるものを自分に残してくれたことに感謝した。もちろん、嫁は邪魔者だった姑が居なくなったので喜び、夫と一緒にこれまでどおり遊んで暮らしていた。

 さて、それから半年がたった。この夫婦は朝は寝坊し、畑の作物もほったらかしで、食べては遊び、疲れたら寝るという日々が続き、じいさんばあさん夫婦が汗水流して残してくれたものは減っていき、一年後には食い物がなくなった。そこでなんと家を売ってしまった。これに隣近所はあきれてしまい、誰もこの夫婦を相手にしなくなった。こうして息子夫婦は庭に立ててあった小屋に移り、家を売った金で買ったものを食べて暮らしていた。

 そして冬に入り、寒い風が吹き、雪も降ってきたころ。息子夫婦は食べ物が少なくなったので仕方なく二日に一食で我慢していた。こうしてその日、つまり十二月の八日、二人は最後に残った穀物を煮て食べることにした。しかし、残ったのは少しの雑穀だけであった。仕方なくこれら雑穀を残らず鍋で煮てお粥を作った。と、このとき息子は惨めな自分と嫁を見て、父が亡くなる前に自分に言い聞かせたことを思い出した。しかし、もう遅かった。二人はこれまでのことを後悔しながら、涙流しガタガタと震えながらそのお粥を食べた。が、これだけではどうにもならず、次の日にこんな寒い日にどうしているのかと、隣の人が様子を見に来ると、息子夫婦はかわいそうに凍え死んでいたわい。

 さて、このことは瞬く間に伝わり、人々はこの夫婦を気の毒に思ったが、また、働かずに遊んでばかりいるとこの夫婦のような目にあうと悟った。そしてそんなことがないようにと、みんなはこれまで以上に働き、またこのことを忘れないようにするため、この夫婦が最後のお粥を食べたという十二月八日に雑穀を鍋で煮てそれを食べ、一家そろってがんばろうと励ましあった。そのご、これが慣わしとなり。また雑穀は雑穀でも、上等なものに変わり、特に米、粟、小豆、大豆、ナツメ、マメ、などを選んで煮込み、今のような「ラーバーゾウ」となった。うん!

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