中国文学界の巨匠ともいっていい老舎。今回の博物館めぐりは、「老舎記念館」の紹介です。彼が新中国の成立後から、1966年に亡くなるまでの16年間を過ごした場所が、記念館になっています。
王府井を北に向かってぶらぶら。15分もすると賑やかさが薄れ、灯市口大街と交差します。右側は大きなホテルです。この交差点を左に曲がると、南北にいくつもの胡同が現れます。豊富胡同19号、この中の四合院で老舎は暮らしていました。建物は1984年に市の文化財に指定され、その後、遺族が老舎の愛用品やいろんな資料とともに市に寄付し、これを受けて1999年に老舎記念館として一般公開されるようになりました。
老舎は1899年2月3日の北京生まれ。本名は舒慶春といい、生まれた翌日が立春だったことから、家族はこの名前をつけたそうです。家は貧しく、親戚の援助で小学校に行くことができました。こうした環境が、後に老舎の作品に影響を与えた、といえるでしょう。感謝の気持ちをこめて、こんな文章を残しています。
「彼がいなかったら、私は一生入学できず、本を読むこともできないかもしれない。彼がいなかったら、私は永遠に、他人を助けてあげることはどんなに楽しく意義があることかに気づかないかもしれない」
四合院の庭に入って気づくのは、二本の柿の木です。老舎が自ら植えたもので、夫人はこの庭を「丹柿小院」と名づけたそうです。夏は青々とした緑、秋になると赤い実をつけ、小鳥がやってくる。そうした生命の息吹を老舎はこよなく愛しました。また、魚を飼いハスの花を育てるために使ったかめも残っています。のぞいてみたら、金魚が泳いでいました。いま、管理を任されている張文生さんによると、老舎はこうしたたたずまいをとても気に入っていたそうです。
庭に面して母屋と二間の部屋があり、これらが記念館の展示室です。母屋には三部屋あり、真ん中が客間。ソファー、樫の木で作ったテーブルが置かれ、国内外のお客をこの部屋で迎えました。客間の左手、東側は画家だった夫人のアトリエ兼寝室、そして西側が老舎の著作部屋、寝室です。
カタ、カタと音を立てそうな扇風機、ラジオ。机の上にはペン、メガネ、灰皿。日めくりの卓上カレンダーは、1966年8月23日でとまったままです。彼はこの日、文化大革命の混乱期に自ら命を断ったのです。
住所:北京市灯市口西街豊富胡同19号
電話:6514ー2612
ホームページ:http://www.bjlsjng.com
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