会員登録

過去のチベットの農奴制

2011-12-23 15:31:53     cri    

 陳宗烈さんは定年退職する前、50年以上「チベット日報」のベテランカメラマンとして勤めました。ある日、陳さんは、チベットの山南地区へ取材に行ったとき、ツウリン(次仁)という農奴と出会いました。「ツウリン」というのはチベット語で長寿という意味です。ところが、この名前のせいで、すんでのところで命がとられそうになったそうです。それはある日のこと、ツウリンの主人は酒に酔っ払ってこう言いました。「おまえはツウリンというのかい。お前が本当に長生きできるのかを見たいね」というとツウリンさんを手を伸ばして立たせ、射撃の腕を試そうとしました。ツウリンさんは恐くて、主人の言うことに従うより仕方ありませんでした。銃声とともに、ツウリンさんの左手が切断されました。

 チベットでの取材で、陳さんはツウリンさんのような社会の最下層である農奴の写真をたくさん撮りました。 

 元々、人間は自由な存在です。では、なぜ、農奴になったのでしょうか。

 13世紀からチベットは正式に中国の中央王朝の管轄下におかれました。17世紀の半ば、清の皇帝はチベット仏教の首領にダライラマの称号を与えました。それから、ダライラマはチベットの指導者となり、最高権力をも持つようになりました。

 政治と宗教が一体化した封建的な政権はチベットのすべての権力と土地資源を支配していました。寺院や僧侶の供養として、大量の土地を分け与えられました。また、先代の王の臣下や生き仏の家族、貴族たちも報償として、多くの土地をもらいました。チベットの高官、上層部の僧侶、貴族の三大領主はチベットのほとんどの土地を握っていましたが、総人口に占める割合はわずか、5%でした。一般農民は土地を借りることしかできませんでした。その上、無償の労役を命じられ、さらに数十項目の実物や貨幣の税が課されました。税金と地租を納めることができなくなった農民は農奴となっていました。

   

 農奴は食事と労働以外、ほぼ人間としての権利はないのです。農奴の子供は農奴となります。一旦、農奴になってしまったら、子々孫々も永久に変えることは出来ませんでした。

 過去、チベットでは政治と宗教を一体化した制度を実施していました。つまり、僧侶貴族と世襲貴族が政治権力を握り、95%以上の人々は自分の運命を変えるいかなる権利も機会もなく、政治活動に参加する機会もなかったのです。(翻訳:トウエンカ)

関連ニュース
写真トピックス
コメント
今週の番組
今日熱点
快楽学唱中文歌
特集ダイジェスト
LINKS