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涼州詞

2011-09-16 12:12:46     cri    
  黄河(こうが) 遠(とお)く上(のぼ)る 白雲(はくうん)の間(かん)

  一片(いっぺん)の孤城(こじょう) 万仞(ばんじん)の山(やま)

  羌笛(きょうてき) 何(なん)ぞ須(もち)いん 楊柳(ようりゅう)を怨(うら)むを

  春風(しゅんふう) 渡(わた)らず 玉門関(ぎょくもんかん)

 これは古代の詩人王之渙の「涼州の詩」です。この詩によって、羌笛のことが広く知られるようになりました。羌笛のものさびしさを帯びた音色が、哀愁や別れを惜しむ気持ちを伝えています。羌笛はすでに2000年余りの歴史があり、古代のチャン族が発明したたて笛の一種で、3つまた6つの孔、双管と単管の二種類があります。  

 羌笛の音色はさながらチャン族の悲壮な歴史を伝えているようです。歴史上のチャン族と現在のチャン族は完全に同じではありません。羌という字は古代の文字・甲骨文字で表すと・頭に角のある人の形をしています。この字は家畜となんらのかかわりのあることを示しています。事実、チャン族は昔、西部で居住範囲はとても広く、羊を放牧する少数民族でした。その後、漢民族やチベット族などと融合素する一方で、、一部は独立を保って来ました。しかし、チャン族の人口は徐々に減少し、現在、その人口は約30万人となっています。チャン族クラス地域も縮小し、90%以上は、四川を流れる岷江の上流地域のアパ・チベット族チャン族自治州の茂県、汶川、理県、松藩、黒水、綿陽市の北川県に居住しています。

 新中国の成立後、チャン族の生活は新たな段階に入りました。1958年、汶川や理県、茂県からなる茂汶チャン族自治県が設立されました。1963年に元の行政区分に戻りましたが、茂県だけは引き続き茂汶チャン族自治県のままとなりました。さらに、1987年にアパチベット族自治州はアパチベット族チャン族自治州に改め、茂汶チャン族自治県は茂県に改めました。また、2003年北川県は北川チャン族自治県に改めました。民族自治によって、チャン族の人々は自分たちが生活の主人公となる夢がかないました。今日、チャン族の人々の生活は大きく変化しました。

 現在、チャン族は青海チベット高原東南部から四川盆地にいたるちいきに居住していますが、この一帯は大部分が山岳地帯で、地震や土砂崩れなどが多発しています。1933年、茂県叠渓ではマグニチュード7.5の地震が発生し、町全体が崩壊しました。1952年、汶川でマグニチュード5.2の地震が発生し、大きな被害を受けました。去年の5月12日、汶川でマグニチュード8の地震が発生し、チャン族はもっとも大きな被害を受け、30万人の中、3万人が死亡しました。この地震で、中国唯一のチャン族自治県・北川県の町が完全に崩壊し、住民の5割が犠牲となりました。また、チャン族の文化財や服飾、楽器の多くが建物のが下敷きとなりました。民族の風格を持つチャン族の村は被害をうけたものの、数百年の風雨と数回もの大地震に耐えた一部分のチャン族の独特な建築物・吊角楼はその様子はチャン族の人々の我慢強い性格を物語っているようdす。廃墟の中に立ちつづけていました。現在、チャン族の人々は故郷の再建に全力を上げています。

 四川大地震が発生して半年後、中国文化省など多くの機関はチャン族文化生態保護区の設立を発表し、四川省や陝西省のチャン族居住地を保護区にし、保護区域内の文物や無形文化遺産の継承者の保護を重視し、政府は財政的な援助を行っています。

 チャン族には文字がなく、話し言葉によって文化の伝承を行っています。これから、科学技術を用いることによって、チャン族文化が受け継がれ、そして広がっていくでしょう。王之渙の「涼州の詩」を読むたびに羌笛のことが思い出されますが、羌笛を使った曲のCDを探してみても見つけることが出来ず、とても残念に思いました。いつか四川省のチャン族村へ行き、生演奏をじかに聞くチャンスがあるでしょう。皆さんも是非チャン族村を訪れて見ませんか。(トウエンカ)

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