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「崔猛」

2011-03-17 11:03:24     cri    




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 今日のこの時間は清代の本「聊斎志異」から「崔猛」というお話をご紹介いたしましょう。

 建昌に住む崔猛は名門の子弟だが、気が荒く喧嘩好きだった。少年のころから武芸をならい、けんかになると決まって相手をこっぴどく痛めつけ、人がいじめられると、その敵を討ってやったりした。そして十七八のころには、弱いものの味方として隣近所では評判が良かったという。身が軽くなり、竹ざおで高い壁などを飛び越えたものだ。

 しかし、崔猛は母親だけには歯向かったことがなく、ことを仕出かし、そこに母が来るとすぐおとなしくなり、母に叱られるのだ。

 ある日、崔猛の幼友達が暗い顔して尋ねてきた。崔猛がわけを聞くと、その友だちにはものすごく怖い妻がいて、それに女子であるにもかかわらず、武術を少し心得ていることから、友だちはいつも痛めつけられていた。それよりその妻が姑である自分の母をいじめ、ろくに飯も食わせない。そしてその母は病に倒れたが、妻が仮病だと決めつけ、薬もろくに買ってくれないという。

 これに崔猛は怒り、その日のうちに友達の家に行くと、その妻に大怪我をさせてしまった。これを聞いた崔猛の母はびっくり仰天。息子が人に怪我をさせてしまったと恐ろしくなり、直ちにその崔猛の幼友達を家に呼んで必死に謝り、その妻の怪我を治すためにかなりの金を渡して、ことはなんとかずんだ。もちろん、その友だちはこんなことになるとは思ってもいなかっただろう。で、そのあと、母は怒りのため食事を取らなくなったので、怖くなった崔猛は、母の前で跪き、何度の何度もわびたが、母は怒ったまま。これに崔猛の妻も夫の横に跪き、泣きながら夫を許してくれと頼んだので、この良くできた嫁を見て母も気が弱くなり、自ら息子を棒で叩いたあと、崔猛の腕に十字の刺青をして金輪際このようなことは起こさないと誓わせた。そこで母が食事をとったので崔猛はやっと安心した。

 ところで、母は道士をかなり敬っており、いつも、困った道士がいると聞く屋敷に招き、下男に世話をさせた。と、ある日、一人の道士が家で食事をしているところへ崔猛が来たが、崔猛を見たその道士は心配そうな目つきで言う。

 「これはお若いお方。あんたの体からは獰猛な気配が強く感じられますぞ。どうにかせぬと大変なことになりかねん。お宅のようなお屋敷ではそんなことになってはならないと思いますが」

 これを聞いた崔猛、母との約束を覚えているので行儀よくこれに答えた。

 「はい。おっしゃる通りで、私は気が短く喧嘩好きなものですから、気に食わないことがあると、自分を抑えることができません。これからこの気性を変えるため努めますので、そうすれば、難を逃れることができましょうか?」

 これを聞いた道士は笑った。

 「まあまあ。難を逃れられるかどうかはあとにして、先にあんたががその気性を本当に直せるかどうかですわい。本当に直したいのなら、かなり苦労しますぞ。で、その決心があるのなら、あることをしなさい」

 「え?あること?」

 「いかにも。ああ、あんたは神などは信じないであろう。しかし、わしのいうことはそんなものではござらん。いいかな、徳のあることをしていれば、いいことがなくとも、きっと物事は悪い結果とはないますまい。ま、騙されたと思ってやってみることじゃ。でないと後悔しますぞ」

 「後悔?で、一体どうしろといわれる?」

 「今さっき、屋敷の外である若者にであってな。あんたはその若者と付き合うのじゃ。そうすれば、いつかあんたが死罪を犯しても、命だけは助かるだろう」

 「え?・・・本当ですか?」

 「わしはうそはいわん」と道士はその若いものの住んでいるところを教えてどこかへ行ってしまった。

次の日、崔猛はいわれたとおりその若者を探しにいった。そしてその若者はまだ12歳で趙僧哥といい、親の趙さんは南昌の人。数年前にふるさとを離れここ建昌に移ってきたもので、そのときから崔猛は、趙家とは親戚付き合いするようになった。それにかの道士の言ったことを母に聞かせると、母も喜び、趙さん一家を屋敷に招き、厚くもてなした。そして母の前で僧哥と義兄弟の契りを結んだ。

 さて、翌年の春、趙さんはふるさとにどうしても帰らなくてはならなくなり、家族を連れて南昌に帰っていった。そのときから趙さん一家から便りもなく、この両家の往き来はなくなった。もちろん、母はなおも厳しく、人が苛められ崔猛に助けを頼んでも、母の方から断ってしまう。

 それから十年近くが過ぎたある日のこと、母の弟が亡くなり、その葬式に出るため、崔猛は母と共に出かけたが、途中で何人かの男が一人の男を殴りつけている。それを周りで見ている人は多かったものの誰一人として助けようとはしない。そこで、崔猛が前へ行って見物人にわけを聞いてみた。すると、その数人の男はここら一帯の豪族の手下で、豪族の息子が、殴られている李申という男の妻が美しいので自分のものしようとし、大金出して妻を買い取ろうとした。しかし、李申はどうしてもいやだというので、怒った豪族の息子は李申の妻を奪ったあと、手下に命じて李申を連れ去ろうとしているのだ。

 これを聞いた崔猛は怒り、手を出そうとしたが、母がこれを見て叱りつけたので、仕方なくそのまま母について葬式に出るしかなかった。

 その夜、屋敷に帰った崔猛は、このことを思い出し、どうも気がすまなく飯も食わなかった。そして部屋で座って黙っているので、妻が心配そうに尋ねたが、崔猛は答えなかった。そして床についたあとも、崔猛は眠れず、ため息ばかりついていた。翌日の夜も同じで、三日目に崔猛は不意に出かけ、しばらくして帰ってきてすぐに横になった。これに妻は心配したが、崔猛の気性を知っているのでただ黙っていた。

次の日、妻はここら一帯の豪族の息子が殺されたことを耳にした。それによると、かの息子は床の上で殺され、なんと腹が切られ腸がはみ出していたという。それに豪族の屋敷にとらわれていた李申の妻も首を吊って死んだという。

 で、町役人はこれはきっと妻を奪われた李申のしわざと思い、さっそく李申を捕らえたが、李申は自分はやっていないといい張るので、拷問をかけた。しかし、それでも人殺しを認めないので、役人は拷問を続けたところ、あまりにもむごい攻めに耐えられなくなった李申は、これでは死ぬと思い、どうせ死ぬのなら痛い目にあうのはもうたくさんと、とうとう自分がやったといってしまった。こうして李申の処刑が決まった。

 そのときには、崔猛の母は急死し、葬式が終わったその夜、崔猛は妻に言う。

 「お前も聞いただろうが、豪族の息子殺しで捕らえられていた李申がきつい拷問に耐えられず、人殺しを認めたという。実はな、あの悪息子を殺したのはこのわたしなのだ」

 これに妻はびっくり。しかし、崔猛はいい続ける。

 「真の人殺しがここにいるのに、罪なき人を死なせるわけにはいかない。母ももう亡くなったことだし、わたしは自分が殺した償いをする。いいか、これから役所に自分がやったと申し出る」

 これに妻は反対したが、そんなことに耳を傾ける崔猛ではない。崔猛はさっそく役所にいき、自分が豪族の息子殺しの下手人だと申し出た。これに県令は驚いたが、崔猛を取り調べたところ、崔猛のいうことが本当らしいので、仕方なく李申を牢屋から出した。が、李申は、このときは人殺しは自分がやったのだと言い張る。県令は仕方なくまた、李申を牢屋に戻した。これを聞いた李申の家族と親戚は、牢屋を訪ね、李申に、真の下手人が現れたのだから、それでいいじゃないかというと、李申は答えた。

 「崔さんのやったことはわたしのやりたいことだった。しかし、わたしにはできないのでわたしの代わりに崔さんが奴を殺してくれたのだ。だから崔さんを生かしたい。どうしても生かしたい」

 こうして崔猛と李申、県令の前で下手人は自分だ言い張るので、もう一度詳しく調べたあと、崔猛が下手人であることがはっきりし、李申に牢獄から出て行くように命じた。このように崔猛の処刑がきまった。が、そのとき今回の殺しの真相を調べに上から役人が来た。この役人は役所の取調べ帳を見て、崔猛という名に驚いた。そして崔猛を牢屋からつれてくるように言いつけ、崔猛がくると他の者を部屋の外に出した。こちら崔猛、上から取り調べに役人が来たと聞いて、自分に何のようだと首をかしげ、その部屋に入ると、何とその役人とは十年ぐらい前に自分と義兄弟の契りを結んだ趙僧哥だったではないか!二人は再会を喜んだあと、崔猛は今度の殺しについて事情を細かく話したところ、趙僧哥はしばらく考えた。そして崔猛に牢獄に戻って知らせを待つよう言い聞かす。そこで崔猛がおとなしく牢獄にもどった。もちろん、趙僧哥は獄吏たちに崔猛の世話をよくするよう命じだ。

 さて、数日後、崔猛は自首したということで処刑を免れ、南の雲南に流刑されることになった。そこで李申は自分の代わりに仇を討ってくれた崔猛について雲南に行き、一年後には崔猛はふるさとへ帰ることが許された。もちろん、李申も帰ってきた

 その後、李申は崔猛に付き、崔猛の商いを手伝い、家事をもうまく処理したので、崔猛は、これは苦労を賭けた褒美だとかなりの金を渡すと、李申はどうしても受け取らない。しかし、崔猛に付いて一心に武術を学んだので、李申も武術では上達した。そこで崔猛は李申に嫁を取らせ、土地や家を買ってやった。こうして二人は無二の親友として暮らした。

 で、かの崔猛の義兄弟である趙僧哥は、のちにかなり出世したが、崔猛のことが忘れられず、また崔猛も命を助けてくれた趙僧哥のことを忘れることはなく、二人の付き合いは長く続き、それに李申も加わり、この三人とその家族は和やかに交わり、末永く幸せに過ごしたワイ。

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