今晩は、ご機嫌いかがでしょうか?林涛です。
この時間は、清代の読書人呉孟挙にまつわるお話「仙人探し」と蛇のお話「施ガクと蛇」をご紹介しましょう。
はじめは、「仙人探し」です。
時は清の乾隆年間。浙江の石門県洲泉というところに呉孟挙を言う書生がいた。呉孟挙は豪農の家に生まれ、都での官吏試験に受かり、のちに内閣中書という役についた。しかし、呉孟挙は小さいときからの長寿の術を学びたいとの思いは捨てなかった。
ある年、呉孟挙は蘇州では四月の八日を仙人を祭る日としていることを聞き、この日は、神さまや仙人が下界に遊びに来るという。しかし、これまでこの日に神さまや仙人がほんとに姿を現したという話はないが、地元には「仙人に会ってそれが仙人だと知らなくても、長生きできる」といわれているので、多くの人がこの日に蘇州に来る。そこで自分も仙人にあって何とか不老長寿の術を学びたいと思い、呉孟挙はその年の3月の終わりに休みをもらい、四人の供だけを連れて蘇州にやってきた。
そして八日の朝早く、呉孟挙は供と町にでかけた。道の両側には多くの出店が並び、掛け声と笑い声が混じり、また道端で芸を売るものもおり、人出も多くとても賑やかだった。しかし、当の呉孟挙はこれらには興味がなく、道行く人の中に仙人らしの姿を求めていた。
こうしていつの間にか八里橋のたもとにつき、一休みして橋を渡ろうとすると、橋の向こうからぼろぼろの服をまとった物乞いが、竹杖をつついてこちらに歩いてくるのが見えた。この物乞いは口に一枚の小銭をくわえ、息をするごとにピー、ピーという音を出している。これに呉孟挙が引きつけられ、そのうちに何を思ったか、供を捨てて橋を渡り、物乞いに近づくと不意に深々と一礼した。
これにきょとんとしたのは物乞い。もちろん、供たちも主がおかしなことをしたので、それを追わず首をかしげている。
「これはおかしいなこと。あんたは内閣中書の呉さんじゃないか?そのお偉方がどうしてわしみたいな汚い物乞いに一礼なさる?」
これに呉孟挙は相手が自分を見破ったので驚いたものの、相手の言葉遣いが物乞いとは思えないので微笑み、自分の思ったとおりいう。
「これは、これは、見破られましたな。実は私はあなた様は、かの仙人の呂洞賓どのではないかと思いまして、こうして挨拶しておりまする」
「ほほう。わしがあの仙人の呂洞賓だとどうしてお分かりかな?」
「実は、その銭には真ん中に孔が、つまり、口という字の孔が開いておりますな。それをあなた様が口で吹かれる。ということはあなたの口とその口がかさなります。口と口が重なれば、呂という字。呂洞賓の呂という字になりますワイ」
これを聞いて物乞いは笑った。
「はっはっはっは!は!これはやはり、内閣中書どのだけあって、ものの考え方が庶民とは違うワイ。まいった、まいった。おっしゃるとおり、わしは呂洞賓でござる」
「やはり、そうでござったが。そこでお願いがござります」
「まあ、まあ、そう急ぎなさるな。それより、ここでわしを見破ったお返しとして、これをみなされ」
物乞いはこういうと、かの竹杖で橋の欄干にすらすらと何かを書き終わると、黙って姿を消してしまった。これに呉孟挙は驚き、気を落としたが、こうなっては物乞いが何を自分に書き残したかを見るしかない。そこには次のような意味のことが書いてあった。
「わしは蘇州に何十年といたが、誰もわしが仙人だとは思わなかった。ただ、洲泉の呉孟挙だけが、わしを仙人だと見破った。しかし、わしら仙境では金は嫌われておるゆえ、位や金銭などは捨てよ」
これに呉孟挙、びっくりしたあと考え込み、遠くで心配そうに自分を見ている供に筆と紙を用意させ、物乞いが書き残したものを写させ、その日は宿に戻り、翌日よーく考えてから都に帰ることにした。そして帰りの途中でまた考えてみた。
「うーん。つまり、わしは金はあるし、位も高いので仙術を学ぶ縁がないということか?そうか。それでは・・・」と呉孟挙は何かを決心したようだ。
さて、都に戻った呉孟挙は、しばらくして内閣の仕事を辞めてしまい、ふるさとの洲泉に帰り、自分の財産である田畑や山などを民百姓に分けてしまった。そして自分はそのときから方々歩いて、何かを調べて、世のためになる本を何冊も書き、晩年は粗末な暮らしをしていたが、そのうちにどこかへか行ったという。
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