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武漢で活躍する蒙古族の競馬選手

2008-11-28 11:03:45     cri    

 「あなたにとって、一番大事なものは?」と聞かれると、33歳の競馬選手・包双喜さんはいつも迷わず「馬です」と答えます。この33年間、包さんは馬と共に過ごしてきました。

 包さんは、1975年に内蒙古通遼にあるカルチン大草原に生まれました。包さんも、先祖と同じように馬の背中で育ちました。まだ歩くことができない赤ちゃんの頃から、お母さんにおんぶされたまま馬に乗っていました。子供の頃、普段は歩いて数キロ離れた学校に通いましたが、雨や雪の日になると、馬に乗りで学校に行ったそうです。

 包さんの故郷では、毎年8月に伝統的な行事、ナダム大会が開かれ、そこでは、必ず競馬が行われます。包さんは14歳のときに初めて優勝しました。その後の数年にわたりチャンピオンの座を守りつづけたことから、包さんだけではなく、彼の家族も地元で有名になり、尊敬されるようになりました。

 1991年、包さんはフフホトのある競馬クラブにスカウトされ、正式に訓練を受けることになりました。この年の暮れ、全国少数民族スポーツ大会に参加し、包さんは千メートルの競馬に出場したところ、チャンピオンに輝きました。

 5年後、包さんのもとに、「広東の深センに来ないか」と、深センの競馬クラブからの誘いが来ました。包さんは、新しい場所でさらに技術を磨きたいと思っていましたが、「競馬選手として馬に乗ること以外、何も出来なかった。標準語さえ話せない。そして遠いところに行くのも初めてだ」と不安を抱きながら、深センに向かいました。包さん自身も思いもよらなかったことですが、その後10年間、深センにいることになったのです。この10年で、包さんは、多くの競馬大会に出場しては何度も優勝し、有名な選手となりました。2005年、包さんは湖北省の省都・武漢市の競馬クラブ「東方馬城」と契約し、そのナンバーワン騎手となりました。

 給料が高い深センの競馬クラブをやめて、武漢に移動した理由は、奥さんが湖北省の出身だということです。「深センで過ごした10年間、最大の収穫は、試合で優勝したことではなく、奥さんと知り合って、結婚したことだ」と包さんは語ります。

 競馬選手は決して楽な職業ではありません。まず体力が必要です。20歳から28歳までが、騎手の黄金期と考えられていますが、33歳になった包さんは、いつも年齢のことが気になっていて、絶えず身体を鍛え続けています。また競馬選手にとって、もう一つの大敵は、怪我です。包さんはかつて、乗っていた馬も一緒に倒れるほどの落馬を経験したことがあり、そのとき足の指を二本骨折して、全治するまで一年もかかりました。

 競馬選手の最も辛いことは、恋人がなかなか見つからないことです。「東方馬城」に所属する騎手は30人ほどいますが、そのうち20人余りがまだ独身だそうです。毎日馬と一緒にいるために、馬のにおいが着ているものどころか、体まで染み込んでいるようで、どう洗っても消えません。「東方馬城」の騎手の一人がいわゆるイケメンで、そんな彼にお見合いのチャンスがありました。念入りに身体を洗い、背広に着替え、香水まで付けてから出かけましたが、相手に会ってから数分後、「馬がいる農場で働いていますか?臭いよ」と言われ、逃げられてしまったそうです。包さんの奥さんも、包さんと出会った当初、その臭いに悩まされていましたが、馬の世話をするアルバイトを始めてから、ようやく慣れました。そんなこともあって、2人は結婚するに至ったとか。二人の大切な息子さんは、今年もう6歳です。奥さんの故郷・赤壁市でマンションを買い、ようやく落ち着いてきたそうです。「過程を守りながら、好きな職業を続けていくことができ、これ以上ない幸せだ」と包さんは、今の生活に満足しているようです。(編集:GK)

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