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無錫シリーズー新・旧宝華写真館(後半)

2012-04-04 16:40:42     cri    
























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 このほど、無錫の昔の様子を写った16枚の写真が発表され、多くの市民の注目を集めています。

 先々週はこれらの写真を通して、この写真を撮った新・旧二つの宝華写真館の歴史についてその前半をご紹介しましたが、今日はその後半です。

 新宝華写真館の創業者である周逸如の息子周献人さんは小さいごろから写真館で生活していました。彼は、その時の写真が白黒の他に黄色がかった昔風の写真はありますが、勿論カラー写真がないと言いました。当時の人々は水彩など染料で写真の中の人物の顔や唇に色をつけていました。

 また、その当時の送電網が今のように発達しませんでした。新宝華写真館も付近の工場から電気を引いていましたが、24時間連続して営業することができませんでした。昼間に工場は電気を大量使うため、写真館は夜しか電気を使えませんでした。

 周献人さんは「よく停電しました。昼は電気がありませんでした。昼間に写真が取れるように、天井に大きなガラス窓を作りました。窓から差し込んだ光を利用して写真をとりました」と述べました。                                                                                                                                                                                    

 新宝華写真館は当時、優れたカメラの設備を持ち、レンズも当時の無錫では最大のものでした。カメラマンの腕前もうまいです。新中国が成立する直前、企業の没収を恐れた民族工業の業者たちは相次いで海外や他の地域へ避難に行く時、新宝華写真館に頼んで自分の工場や機械の写真を撮りました。それは今後故郷に戻れるとき、これが私のものだという証拠を残すためでした。

 周献人さんは「当時の写真を沢山持っています。たとえば現在の第4綿繊維工場や第1国有綿繊維工場、中国人民銀行などです。また工場全体をとるため、われわれはわざわざ天津へ行って、遠いところから工場全体を取れるレンズを買いました。残念ながら、その写真はなくなりました」と述べました。

 無錫の昔の様子を写ったこれら16枚の写真はすべて、26センチ×20センチの写真に引き伸ばされました。これらの写真が発表されると、たちまち無錫市民の注目を集めました。

 無錫建設文化芸術センターの主任・倪偉南さんは写真愛好家で、これまでの40年間に、無錫の風景や人物、文化など数え切れないほどの写真を撮りました。

 倪偉南さんは「写真はっきりしていて、撮る角度も大変よいでした。カメラなどの設備は優れたもので、カメラマンの腕前もよく、本当に素晴らしい写真ばかりです」と述べました。

 新旧宝華写真館が撮った写真は、もっと多いはずですが、時間が経つに連れて、殆どが紛失してしまいました。残されたこの16枚の写真から、昔の無錫の様子を想像することができ、とてもありがたいものです。

 今日は、16枚の写真を通して新・旧二つの宝華写真館の歴史についてその後半をご紹介しました。(完了)

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