無錫の名物は何ですかと聞いたら、恵山泥人形と答える方が大勢いると思います。確かにそうです。しかし、この泥人形で有名な恵山のふもとにもう一つの名物・恵山油酥というお菓子があります。金色の皮にゴマをまぶしつけている恵山油酥はイチゴほどの大きさで、その柔らかさと香ばしさ、うまさが代々無錫人を魅了しました。
実は油酥というお菓子は今から約300年前に明朝の宮殿にしかないお菓子でした。明朝が滅ぼされた後、朱という苗字の皇族の一部が避難で無錫に訪れ、恵山に定住しました。
生活維持のため、朱聖渝という人は宮廷にしかないこのお菓子を試作し、町で販売しましたが、思いがけないことに大変喜ばれました。これは恵山油酥の前身だといわれています。
現在、恵山のふもとに朱順(じゅん)興(こう)という名前の恵山油酥を売る店があります。店の中には、杏仁酥や油京菓、黒切片などさまざまな名前のお菓子があります。平日は勿論、祝祭日の時、このお菓子を求めるお客さんはおしかけてきます。
店の近くに住む周さんはよく買いに来ます。
周さんは「週に間一回は必ず買いに来ます。このお菓子、本当においしいですよ。名の知られるお菓子です。先週、両親に買ってあげましたが、今回、自分用のものです。昔の味と殆ど変わりません。今の人々の生活習慣に合わせるため、甘くなくできたもので大変すきです」と述べました。
経営者の朱錫璋さんはこの店の十代目の店長です。実は、初代の朱順興が一時期店の営業を中断したことがあります。1956年、無錫では合作社制度を始め、朱順興の九代目の店長、つまり朱錫璋さんの親である朱仁祖さんと袁仁燦さんのご夫妻は無錫市恵山油酥食品工場に転職し、定年まで働いていました。朱錫璋さんと梅琴賢さんのご夫妻は元々別の仕事に従事していました。2007年、恵山古鎮を新しく改造する際、朱錫璋さんは朱順興という名前の店の経営を再開しました。
朱錫璋さんは「この看板を捨ててはいけません。恵山油酥を作ったことがありませんが、家に師匠がいます。それは私の母親です。母親が毎日来て教えてくれるだけでなく、技術の面での指導も担当しています。2、3ヶ月過ぎた後、私が作ったものが昔の味とかわらないとお客さんから認められ、評価されました」と述べました。
朱錫璋さんの母親・袁仁燦さんはかつて、現地で「油酥美人」と言われました。
朱錫璋さんは「当時、ある新聞社の記者は油酥を買いに来ました。油酥もうまいし、人もきれいなので、『恵山に油酥美人がいる』という記事を書き発表しました」と述べました。
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