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無錫橋梁専門家・蘇松源さんと双曲アーチ橋

2011-07-20 14:58:52     cri    
























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 中国の東南部に位置する無錫は呉の時代の都です。3000年の歴史を持ち、昔から美しく、豊かな都市として知られています。この無錫は『江南の名城』とも呼ばれ、また物産が豊富なことから「米と魚の故郷」とも謳われています。毎週のこの時間は無錫の様子をお伝えしていますが、今日は無錫の橋梁専門家である蘇松源さんと彼が設計した双曲アーチ橋についてご紹介しましょう。

 中国のアーチ橋は1000年以上の歴史を持ち、世界の建築史において重要な位置を占めています。新中国成立後、橋梁の設計者達は古代のアーチ橋建築の経験を踏まえて、新しいアーチ橋である双曲アーチ橋を作り出しました。中国の橋梁建設の父と呼ばれる茅以昇氏は「双曲アーチ橋は中国橋梁建設史の奇跡である」と評価したことがあります。実は、世界で初めての双曲アーチ橋は無錫で誕生し、そして、これは無錫の橋梁専門家である蘇松源さんが設計したものなのです。

 このほど、北京放送の記者が蘇松源さんのご自宅を尋ね、83歳の蘇さんは北京放送のインタビューに快く応じてくれました。

  1960年代に、蘇さんは双曲アーチ橋の発明によって、一躍、普通の建築設計者から全国でも知られる橋梁専門家となりました。

 1960年代、中学校を卒業した蘇松源さんは無錫道路管理所に入り、地元の道路や橋梁の建設に携わりました。当時のことを振り返り、蘇さんは

 「当時、無錫県の3500余りの橋はほとんど、ぼろぼろの臨時橋だった」とした上で、「これらの臨時の橋の80%以上は木造の橋で、橋の多くの敷き板が長い間修繕されなかったため、ひどくぼろぼろになっていた」と紹介しました。

 1962年、無錫県交通局は橋梁建設チームを設立し、地元の橋梁建設工事を開始しました。しかし、建設資金が足りなかったため、元の多くの橋梁設計案は建造費が高いとの理由で取り消されました。蘇松源さんは中国の明と清の時代の橋梁設計の経験を繰り返し研究したり、労働者達の建造意見を総括したりして、大胆な設計アイディアを生み出しました。つまり、数本の拱肋(アーチリブ)でアーチ型の橋の桁を組み立てて、横から見ても縦から見ても共にアーチ型にする双曲アーチ型の橋を設計したのです。

 この双曲アーチ型の橋は建造費が比較的安いだけでなく、その耐荷重性能も大幅に高まりました。1965年、蘇松源さんは労働者達を率いてわずか4カ月間の工期で、無錫県胡棣郷の橋脚間距離が55メードルに達する双曲アーチ橋を完成させました。

 胡棣大橋の完成に伴い、双曲アーチ橋は全国建築界の注目を集めました。中国の有名な数学者である華羅庚氏や上海同済大学の李国豪学長、清華大学の張維以副学長、それにスペイン、ルーマニアなど22カ国の専門家が相次いで現地調査に訪れ、双曲アーチ橋の建築設計を高く評価しました。

 無錫シリーズ、今日は無錫の橋梁専門家である蘇松源さんと彼が設計した双曲アーチ橋の前編をご紹介しました。この続きは来週の後編でご紹介します。どうぞお楽しみに。

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