私と日本
二組 梁媛
日本語科の学生として、よく人に『日本は好きなのか』と聞かれました。正直、どう答えればいいのか昔は相当に戸惑っていましたが、今ははっきり言えます。日本は美しい国ですが、外国人にとっては決して心地よい住み場ではないと思っています。
日本の大学で教えてもらったハーフの先生がいます。その先生はスイス人と日本人の子供ですが、目の色も髪の色も黒いし、日本語もとても普通に喋れるし、見た目だけでは外国人とは思われないくらいです。しかしその先生の話によると、彼はずっと外人扱いされて散々な目にあったそうです。今の職場でもそうだということです。ほかの先生たちは彼のことを外人だと思って、なかなか仲間に入れてくれないようです。
そう、『外人』です。外国人ではなくて、ただ無関係の『外の人』です。日本人はこのようにほかの国の人、いや、純血の日本人ではない人を見ています。いくら頑張って日本語が上達しても、何年も住んで隣人と仲良くしても、『はい、あなたは外人です』と微笑んで、あなたを遠ざけているのは日本人のやり方なのでしょう。
私を少しでも知っている人はみんな知っていることですが、かつて日本へ行くことは私の夢の一つでした。小さいころからずっとアニメとマンガが好きな私は、子供を医者にさせたかった両親の意志に必死に逆らってまでして、日本語科に入りたかったのです。ゼロから日本語を学ぶ日々は私にとって最高の幸せでした。留学する前だって、興奮しすぎで眠れなくなった夜も少なくありませんでした。その時は思わなかったが、実際に日本へ行くと、その情熱は下がる一方でした。
日本へ行った最初の日、私は迷子になりました。それはとても怖くて、二度と思い出したくないくらいでした。しかしそれは私の記憶に刻み込まれるほど鮮明なのでどうしても忘れられないことです。
それは夜の9時過ぎでした。食事を済んだ私と友達は帰り道を忘れてしまいました。それは無理もない話しでしょう。一度も行ったこともない国の田舎まで呼ばれて、そして『君たちは、自分たちで近くのコンビニで夕食を済ませなさい』と言われて、ほったらかしにされ、元々方向音痴の私と友達は腹をすかせないためコンビニで食べたことから、迷子になったわけです。
携帯もない、身分証明書もない、日本語もあまり喋れない、自分の名前と寮の名前しか知らない私たちは怖くて怖くて歩き続けました。9時から12時半までずっと道で彷徨っていました。見覚えのない家ばっかり、怖そうな人ばっかり、道を聞く勇気もありませんでした。とうとう深夜になり、電柱のひかりも次々と消えてしまいました。真っ暗の道で、酔っ払った人に道を聞くしかなかったのです。最後の最後、ようやく消防署にたどり着いた私たちは涙ぐんで助けを求めました。消防署の人達はご親切に寮までの道を教えてくれましたが、結局は私たちは自分で道を探さなければなりませんでした。そんなことを言ってもなんだが、しかし中国の場合ではもし迷子の人が警察とかに駆け寄ったら、必ず家まで送るのは常識なのです。日本では通用しないと思ったが、それは昔からアニメやマンガで見た日本とは違っています。
やはり『外人』として、美しい日本を見るのは好き、触るのは好きではないです。
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