遼寧省の省都・瀋陽市には身体障害者が中心となって働いている拠点があります。地元住民には「太陽の工場」と言われています。
22歳の賈媛媛さんは、知的障害者で、ここの指輪を入れる箱を作る工場で働いています。手作業で、役割分担として、賈さんは、糊をつける部分を担当しています。毎日数百個の小箱に糊をつけています。賈さんは、自分の力で独立して生活しています。
次は、賈さんと記者の会話です。
記者:媛ちゃん、お金をいくら貯めたの
賈:900元
記者:何に使うつもり?
賈:親に家を買ってあげたいの。
糊をつける動作は簡単ですが、賈さんはできるようになるまで数日かかりました。賈さんは生まれて3ヶ月、難病にかかり、頭の発育に影響が出ました。親のお世話でやっと中学校を卒業しましたが、これからの暮らしについて親は心配しています。お母さんは当時のことについて、「いつも出かけず、家でテレビを見ているばかりでした。話しかけても、返事してくれなかったんです。内気で、人と話そうともしなかったんです」と振り返りました。
このため、お母さんは仕事を止めて、もっぱら賈さんの面倒を見ることにしました。2008年末、瀋陽では初の知的身障者の工場「太陽の工場」が始められ、賈さんを含め21人が雇われています。
社長の賈福興さん自身も身障者で、「家庭に一人の身障者がいれば、家族全員が縛られてしまいます。この工場は政府が出資したものです。リスクがないうえ、体力は要りません。工場は営利目的ではありませんから、知的障害者たちが、ここで一つの技術を身につけ、これからの人生に生かせてもらえればいいと思います」と語りました。
ここで働いている身障者たちは、20歳から30歳までの若者ですが、賈社長にとってはみんな自分の子供のようで、「これらの子は非常に単純で、ずる賢さがぜんぜんありません。たとえば、置いてある置物の角度を変えることを教えたら、彼らはいったん覚えると、その後は、間違えなくしてくれます。たとえ私たちがいなくても、怠けたりいい加減に角度を変えたりすることはありません。非常に誠実な子供たちです。ここで働いてもらうことで、家族が救われるだけではなく、自分でどのように生活するかが分かるようになるのではないでしょうか」と見ています。
ところで、「太陽の工場」には、今合わせて135人が働いています。工場の管理職を担当している肖翠芳さんは、「これらの子は、頭の回転が悪く、手の動きも遅いです。ですから、私たちは、個人個人の特徴を生かそうと、教えに当たっています。正常の人が500個を作るとしたら、彼らは60個しかできません。しかし、これは自分の手で自分の価値を発揮することではないでしょうか」と述べました。
かれらはここでいろいろ習いました。布団を畳むことをはじめ、いろいろな家事ができるようになりました。そして、月に300元の給料をもらっています。
2009年に入って、瀋陽市は10ヶ所の「太陽の工場」をあらためて造り、より多くの知的身障者の社会進出を目指しています。(朱丹陽)
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