2008年は、中国の改革開放政策実施30周年です。また、中日関係を振り返れば、両国友好の基礎を築いた中日平和友好条約が締結されたのも1978年で、同じく30年経ちました。中国の発展にとって、この重要な30年間には、隣国の日本は、中国の改革開放の中で、どんな役を演じたのでしょうか。
最近、中国のウェブサイトでは、こんな記事が多く転載されています。北京大学大学院生、王錦思さんの記事です。王さんは、日ごろ文化交流の仕事をし、中国問題や抗日戦争、中日関係に関する研究を行っています。この記事には賛否両論、様々な書き込みが見られますが、一つの観点として、ご紹介したいと思います。テーマは、ずばり、「日本がなければ、中国の改革開放は他の道を歩むかも」です。
以下は、王錦思さんの文章です。
2008年も残すところあとわずかですが、中国では改革開放30周年を記念する活動もクライマックスを迎えています。今年は、また、鄧小平氏が日本を訪問し、中日平和友好条約を締結したという記念すべき歴史的事件の30周年でもあります。両者の時間的な一致は決して偶然ではありません。中国の発展は国際情勢や世界経済と切り離すことができません。改革開放は隣国の日本と緊密なかかわりがあります。この30年来、中日両国の関係は、歴史問題や釣魚島問題などにより様々な矛盾や摩擦が表れましたが、日本が中国の改革開放の各段階に果たした役割を否定してはなりません。
戦後の日本はわずか7年で、経済レベルを戦前の最高レベルに回復させ、25年で、世界二番目の経済大国の座に登りつめました。鄧小平氏は、このような日本の急成長を高く評価しました。
1978年10月、中国国内ではちょうどあの画期的な意義のある第11期全国人民代表大会第三回会議の開催直前に、鄧小平氏は、『中日平和友好条約』調印のため日本を訪れました。鄧小平氏は、日本訪問中にじっくり見て周り、日本が経済の奇跡を実現した経験を思索していました。鄧小平氏は、「今回日本に来たのは、日本に教わるためです。私は日本が科学技術の発展を推進した先進的な経験を中国に持ち帰りたいです」と語ったことがあります。
鄧小平氏のこの日本訪問は中国の改革開放にとって鍵となる旅だとされています。鄧小平氏帰国後、中国は日本のモデルで経済を発展させ、改革開放という百年も揺るがない政策を打ち出しました。20世紀末までに、GDPの4倍の成長を目指すという鄧小平氏の構想も、日本の倍増計画の啓発を受けて打ち出されたものだろうと言われています。
1979年12月、太平正芳首相は中国を訪問し、中国の改革開放政策を全面的に支援し、経済や教育、文化など幅広い分野で、物的・人的支援を提供したいとの姿勢を示しました。
30年前、中国の一人当たりのGDP・国内総生産は、およそ350ドルで、政府の外貨準備高はわずか1億6700万ドルでした。そのような時に、日本政府からのODA円借款を500億円(2億2000万ドル)を受け取ったのです。日本は中国にとって最大の支援国です。中国が受け取った外国からの支援のうち、66.9%が日本からのもので、あわせて2000億元を超えました。これらのODA援助は、中国の鉄道、道路、港、空港などのインフラ建設や、および農村開発、環境保護、医療、教育などの分野に使われました。2002年までに、日本側が中国に派遣した専門家は、12000人を超えました。2007年、中日の貿易総額は2366億ドルに達し、9年連続して記録を更新し、中国がアメリカに取って代わり日本の最大貿易パートナーとなり、その一年間の両国の人的往来は延べ512万人に達しました。
30年前、鄧小平氏が新幹線に乗って東京から関西に向かう途中、新幹線の感想を記者にたずねられました。鄧小平氏は、「速い!本当に速い!後ろから鞭で追われているようですね。これは今われわれが必要とするスピードです。中国は今走らなければなりません。今回の訪日で現代化とは何か分かりました」と語りました。
30年来、中国の経済は急速に発展し、GDPは世界4番目、対外貿易額は世界3番目に達し、世界経済の成長に対する貢献はアメリカについで2番目となっています。また、日本との関係も日本にもっぱら支援されたことから、日本経済の復興を推進するようになり、中国は日本経済が長期的な衰退・低迷から転換し、復興を実現するための重要な力となっています。
日本がなければ、中国の改革開放は前へ進みますが、違う様式や違う内容が現れたに違いありません。しかし、歴史が日本を選び、鄧小平氏が日本を選びました。その結果、日本は中国の改革開放を推進する重要な力となりました。また、中国はそのおかげでいろいろな経験を学び、今日の発展を果たしたものです。
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