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 きちんと歴史を認識して初めて信頼を再構築できる

2015-03-24 11:12:21     cri    

 人類の存亡がかかり、正義が邪悪に勝利した中国人民抗日戦争・世界反ファシズム戦争が終結して70年になろうとしている。この70年という長い歴史の過程で、総じて言えば、国際社会はこの戦争の本質に対する認識をたえず深め、一部の国がこの戦争中に犯した罪業と負うべき責任に対して、明確な結論を出した。(文:石沢 人民日報掲載)

 ドイツは正確な歴史認識と責任を負う行動によって、戦争の罪業を晴らし、また法律という形式で戦争の亡霊が復活するのを厳しく阻止している。一方、もう一つの戦争発動国だった日本は、国際公理と国際正義の是非問題で大きく揺れ動き、定まらず、葛藤に満ちており、日本の一部の極端な政治勢力は歴史の清算を公然と声高に叫び、「歴史戦」における勝利の道を堂々と論じている。

 異なる歴史観がドイツと日本の異なる行動様式を決定し、異なる行動様式は両国を異なる国際的な立場に置いている。ドイツはかつての戦場での敵対者と和解を実現しただけでなく、欧州一体化推進のエンジンとなっている。日本は誤った歴史観の誤謬からいまだに抜け出せず、しばしば地域の安定に対する「トラブルメーカー」の役を演じ、アジア近隣諸国と信頼関係を構築できない。

 「70周年」というこの特別な年に、歴史問題は決して避けて通れない。これも現在、策定を検討中の日本指導者の歴史問題に関する談話の無視できない背景である。日本の指導者は勇気を奮って、前人がもたらした歴史責任を負い、平和的発展の道を歩んでいく基礎を突き固めるのか?それとも反省意識を薄め、いわゆる「国際貢献」「和解の道」「大国主義宣言」で「村山談話」の放棄を隠蔽しようとするのか?これが日本国内の各政治勢力が論争している核心的な問題であり、国際社会が細心の関心を払っている焦点である。

 「もしキーワード(植民地統治、侵略戦争に対する反省と謝罪)を削除すれば、対中国、韓国関係だけでなく対米関係にも不必要な逆効果をもたらす」

 「反省がなければ、未来に向き合う道はない」……

 こうした日本の有識者の憂慮、警告には極めて強烈な現実的批判が込められている。

 日本指導者の歴史問題に関する談話について、『産経新聞』は「誰が冷戦の勝利者なのか?聞きたい」という論文を掲載した。筆者は「本来、敗戦70周年を強調し過ぎるべきではない」という「もう一つの視角」を示しただけでなく、日本は「事実上、第3次世界大戦だった冷戦」の「勝利者」であると繰り返し指摘している。文章表現はかなり晦渋で理解しにくいが、その立論は明白で、日本は戦勝者であり、敗戦者ではないので、戦勝者が反省と謝罪をする必要はない、ということである。

 「もう一つの視角」というのはあるいはかなり極端かも知れないが、ある日本人が歴史問題の思想的な脈絡における葛藤を的確に理解するためにはある種の脚注を提供してくれるかも知れない。歴史問題の重荷を下ろしたいが、決して歴史問題と向き合おうとはせず、誤った歴史観を反省することも拒み、いかにももっともらしいが根本的に立脚点のない言辞を探し出し、自らを励まし、とどのつまりは地域の信頼醸成の雰囲気を破壊した責任を日本軍国主義侵略戦争の被害国の身に押し付け、アジア近隣諸国が絶えず「歴史カード」を振りかざし、日本の国際イメージを中傷していると指弾している。

 「過去に対する清算は戦後の和解を実現する前提である」。これはドイツのメルケル首相が今月初め、日本を訪問した際に語った言葉である。

 日本のように侵略戦争を発動し、甚大な災難をもたらした国家が、アジア近隣諸国の許しを得ようと思うならば、まず自らしっかり罪をあがなわなければならない。勝手放題にアジア近隣諸国国民の感情を傷付け、絶えず、国際公理と国際正義に挑戦し、さらにアジア近隣諸国の理解と信頼を要求する。世界的にそのような道理はあり得ない。2015年は日本とアジア近隣諸国との関係が試される年だが、一方で好機でもあり、鍵は日本がどのような行動を取るかである。

 70年前、日本は戦争に負けた。70年後の今日、日本は再び良識を失うべきではない。

 「人民網日本語版」より

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