交流会終了後、関係者と記念写真をとる山田監督(左二)
日本の山田洋次監督が7日、2011年中日映像交流事業に参加するため、北京入りしました。当日午後、中国映画資料館で「山田洋次監督作品回顧展」のクロージング上映会に出席し、中国人監督の霍建起氏と対談を行ないました。
中国映画資料館の傳紅星館長は挨拶で、「学生時代から山田監督の作品にはまり、作品を通して、日本人の正義感、楽観、善良、ユーモラス、勇気を知り、日本人に対するイメージが変わった」と振り返り、「回顧展には、若者の姿が多いことに喜びを感じる」と語り、時空を乗り越えた山田監督作品の魅力を高く称えました。
対談は、日本映画監督協会国際委員会委員でもある中国人監督・李纓氏の進行により、家族、地域共同体の絆、寛容、芸術と商業主義などをキーワードに行なわれました。
2歳から日本の敗戦まで、中国東北地区で暮らしていた山田監督は、少年時代の日本引き上げ体験、そして、学生時代に見たファシズム軍隊に追われて亡命する家族のことを描いたイタリア映画が、後に家族の絆を撮りつづけるようにさせた原体験だと語りました。また、蒸気機関車C61の復元過程を撮影したドキュメンタリー新作について、「蒸気機関車は、科学の進歩で人類が幸せになれると信じられていた20世紀を代表する技術だった。しかし、この度の大震災とそれによる原発事故の影響が続いている今、このことを今一度考えさせられる。中国の人々にもぜひこの作品を見てもらい、一緒に考えてもらいたい」と語りました。
中国人のファンに取り囲まれ、サインを求められている山田監督。
「今年80歳になるので、日本の『80后』監督でもあります」と紹介されていました。
ところで、「映画の芸術性と商業性は結合双生児のようだ」という山田監督の発言を受け、霍監督は「中国人観客の鑑賞力が高まりつつあり、作り手としては、一層高いレベルの作品を作って、それに応えていくしかない」と中国映画の成り行きを楽観視していました。
「山田洋次監督作品回顧展」が中日映像交流事業の一環として、6月4日から7日にかけて行なわれました。「家族」(1970)、「幸福の黄色いハンカチ」(1977)、「武士の一分」(2006)、「男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け」(1976)、「たそがれ清兵衛」(2002)、「学校Ⅱ」(1996)、「おとうと」(2010)の7作品が上映されました。
関係筋によりますと、新作「東京物語」(小津安二郎作品のリメイク)を制作中の山田監督は、大地震で撮影が来年2月に延したため、今回の訪中日程が決まりました。山田監督は、「次回はもっとゆっくり来て、もっとたくさんの中国の映画関係者と交流をしたい」と今後も交流を継続していくことに意欲を見せました。
なお、温家宝首相の提案による「中日映像交流事業、日本映画・テレビ週間/日本アニメフェスティバル」が8日に北京でスタートします(王小燕) 国際・交流へ
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