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農民工の道はどこに?

2009-03-16 17:57:14     cri    




















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 出稼ぎ労働者、中国では「農民工」といいますが、これは中国社会の中で、大きなグループとなっています。夢を持って都会にやってきた農民工の一部は、今、やむを得ず都会と別れ、田舎に帰らざるを得ないのです。国際金融危機の影響を受けて、中国には、このように失業でふるさとに帰った農民工が2000万人もいます。これらの農民工の将来はどうなるのでしょうか。

 中国西南部重慶市の開県出身の呉偉さん。こうやって年老いた母親と幼い子供と再会するは久しぶりです。呉偉さんは、家族との再会で喜びを感じていますが、新しい仕事が見つからないのでイライラしています。

 「今の気持ちはなんというか、ちょっと複雑な心境です。楽しいし、満足感があります。だけど、同時に、なんか失ったような、ちょっとイライラしています。お金はかかることばかり、全然儲かっていなんですね」

 呉偉さんのふるさと、重慶市開県は、80万人の労働人口のうち、およそ半分が出稼ぎ労働者となっています。国際金融危機の影響を受けて、旧正月前後、この県にはあわせて5万人の農民工が失業でふるさとに戻ってきました。

 開県の人力資源市場は職探しの農民工であふれています。32歳の呉偉さんはその中の一人。去年8月までに、呉さんは広東省東莞市のある台湾系家具メーカーで働いていました。漆塗り工から工場長へ昇格し、毎月の給料は少なくとも3000元ぐらいでした。また、奥さんの蒲東キュウさんも東莞のある縫製工場で働き、月給1800元ぐらいでした。奥さんも働いていた工場が倒産して、ふるさとに帰ってしまいました。こうやっていきなりすべての収入を失ったことから、呉偉夫妻はどうしたらよいか途方にくれています。奥さんの蒲東キュウさんの話です。

 「今、ふるさとに帰ってきましたけど、金融危機の影響で、どこから動き出したらいいか分からなくなってきました」

 これまでの数ヶ月間、呉偉さんはふるさとで管理職を探すことで精一杯でした。ふるさとで就職できれば、長年の働きで積んだ経験を生かすことができるだけでなく、自ら母親の世話をすることもできるからです。しかし、呉さんの夢はまだ叶っていません。

 開県では、呉偉さんのように、将来の仕事で悩んでいる農民工は数多くいます。年が若く、豊かな経験を積んだ呉偉さんたちにとっては、職探しはさほど難しいことではないかもしれませんが、重労働を繰り返し、年をとってしまった農民工にとっては大変困難です。

 これらは個別なケースではありません。彼らの運命は、ふるさとに戻った2000万人の農民工たちの現状そのものを表しています。世界金融危機のショックを受けて、農民工たちの都会人になる夢、豊かになる夢は一時破れてしまいましたが、農民工たちは最も強靭なグループであるだけに、やけになっておらず、ふるさとに残っても、引き続き都会に向かっても、相変わらず、自分の生活や未来の夢のために地道に頑張り続けています。

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