栖霞市の場合ですが、1995年までは市ではなく、市の下のの行政単位である「県」だったので、当時は「栖霞県」でした。
1958年9月からいままでの郷鎮体制が人民公社に、果樹園などは国有化されました。文化大革命が終わり、農村改革が始まるという波に乗って、1984年3月に、29年間も続いた人民公社の体制が、郷鎮体制に戻りました。国のものだった果樹園は各家庭に請け負われることになり、個人経営になりました。
この時のリンゴの種類は、色が青く、サイズが小さめの「国光」が主でした。おいしさで名が知られていたが、計画経済の時代で、配給制だったので、生産高が低い上、自由に販売できませんでした。ここのリンゴを購入するには、裏口を通らなければなりませんでした。そのとき、栖霞のリンゴは庶民にとっては遠い存在でした。
このときの栖霞県の規模は、8の鎮、15の郷を管轄しており、今の半分ぐらいでした。
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