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パラリンピックは、オリンピックと同じように4年に1度しか開催されていないので、多くの選手にとって、2回連続で出場するだけでも大変な苦労をしなければなりません。でも、北京パラリンピックに参加しているタイの選手団の中には、5度目の出場を果たした選手がいます。選手団団長のオソスさんの話です。
「うちの選手団には、パラリンピックに5度目の出場をしている選手がいるんです。視覚障害競泳のパノム選手です。1992年のバルセロナ・パラリンピックから、アトランタ、シドニー、アテネ、そして今回は北京に出場しました」
オソス団長の話によりますと、パノム選手は39才で、選手団の中では最高齢であるとともに、最も有名な選手でもあるそうです。パノム選手に、水泳を始めたきっかけを聞いてきました。
「私は小さいときからスポーツが好きだったので、専門学校に行ってたくさんのスポーツをやってみました。その中で、水泳だけは続けてきました。そして、ある大会の前に、先輩が急に体調を崩したので、代わりに出場させてもらいました。一生懸命泳いでいい結果を出しました。それで、水泳にもっと自信を持つようになりました。それから、全国選手権に出場して銅メダルをとって、16才のときに国家代表に入りました」
このように徐々に頭角を現したパノム選手は、様々な国際大会に出場し、力をつけてきました。1992年には、初めてバルセロナパラリンピックに出場して経験を積み、そして北京で開催されたフェスピック、つまり極東・南太平洋身体障害者スポーツ大会で大活躍しました。これについてパノム選手の指導コーチのタウェチョック・ポングディさんは、こう話します。
「1994年、私はパノムさんとともに初めて中国に来ました。このとき、パノムさんは、男子100メートル平泳ぎや200メートル個人メドレーなど4種目で金メダルをとりました。本当に素晴らしかったですよ。いま思い出せば、もう14年前のことになりますね。それから、1996年のアトランタ・パラリンピックとその後のアテネ・パラリンピックでもよく頑張って、メダルを獲得しました」
しかし、ここ数年、パノム選手は年齢的なこともあって、国際大会では昔のように良い成績を上げなくなりました。
9月8日午後、北京パラリンピックの競泳男子100メートル平泳ぎ・視覚障害SB11クラスの決勝で、パノム選手は7位に終わりました。でも、本人は、少しも残念に思わず、決勝に残っただけでも満足だといいました。そして、いろいろ考えた結果、4年後のロンドン・パラリンピックは目指さず、北京で終わりにしたいと話しています。
「もう、これで引退します。体のことはもちろんありますが、若手選手の成長などを考えれば、もうそろそろお別れをいうべきところだと思います。北京に来たのは、2回目です。14年前、ここで開催された大会で4個も金メダルをとれたので、ある意味で北京は私の活躍の出発点だったと思います。そして今回、パラリンピックに出場するためにもう一度北京に来て、現役最後の競技をしました。考えてみれば、自分のキャリアにとって大事な始まりと終わりを全部北京で経験したんですね。だから、いつも北京に対して特別な思いがするんです。とくにパラリンピックに参加して思ったことですが、北京は前より奇麗になりました。競技施設もサービスもみんな素晴らしいです」
パノム選手は今、故郷で視覚障害者のために水泳クラブを開いています。水泳に興味があればお金がなくても練習できるようにしているほか、プロ選手の練習のためにも場所と資金を提供しています。身体障害者を助け、身障者のスポーツ事業を促したいと、パノム選手は語ります。
「これから、このクラブを通じて、若手選手を育てていきたいと思います。彼らに、私の経験を教え、選手に必要なものを身につけてもらいたいです。それとともに、体が不自由でも、どうすれば他人の役に立てるのか、どうやって人を助けるのかということも学んでほしいと思います」
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