10月23日から31日まで、私は、「21世紀東アジア青少年大交流計画」の代表団の随行記者として、日本を訪れました。1998年に日本留学から帰国して以来、日本に行くのは10年ぶりでした。今回は、取材の仕事を完成するほか、この10年間、日本はどんなところが変化したのか、見たいと思っていました。
鳥取と京都の高校生との交流活動があるため、バス、飛行機、電車で、東京、鳥取、京都、大阪の間を移動しました。私は、朝の散歩や夕方の買い物などの時しか、町の様子に触れることができませんでした。
「町全体が清潔で、緑が豊かな上、運転のマナーがよい、店員さんが優しい」などの点は変わりがなく、最初の2、3日は、「この10年間、日本はあまり変化がなかったのではないか」と思いました。でも、しばらく経つと、「これだ」と強く感じました。
それは、ごく普通の店で柿を買ったときやホテルで延長コードなどを借りたときなどに、「私は中国人ですけど」と言ったときの、私を見る皆さんの(1)目つきでした。(2)顔なじみの人を見るときのような、ごく普通の目つきでした。私は、そこから、(3)隔たりのなさや親しさを感じました。
10年前は、たとえ東京という大都市でも、親しい間柄でないと、このような目つきを感じることはめったにありませんでした。そんなとき、日本の人に道を聞く場合、親切に教えてもらえたものの、その目つきから、私は、(4)警戒心というか、(5)敬遠というか、とにかくなんとも言えないものを感じました。
今は、そのようなものがなくなっています。私は、この町行く人の目つきの変化によって、「昼間は取材し、夜は原稿を書く」というハードなスケジュールを、違和感なく、リラックスした気持ちで乗り越えることができました。
10年ぶりの日本、町角で感じたささやかな変化は、私にとって大きなもので、嬉しく思っています。
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